Sat.

英語が母国語じゃなくて良かった。

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London tower bridge, UK

「英語が母国語じゃなくて良かった」
なんてことをこの前イギリス人の友達と話しててふと思いました。

中学高校、そして大学に入ってからも英語の勉強に追われ(今も)、何度英語圏のネイティブとして生まれていたらと思ったことか。
英語の勉強は嫌いじゃなかったけど、莫大な時間と労力が必要なのは確か。そのコストに関しては今も懸念はあるけれど。

ウィーンに留学しているとヨーロッパの色々な所から人が集まってきていて、話してると「で、君は何語を話すの?」という話になる。とりま母国語と英語はデフォルトで、オーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を話す人も多い。結果として3ヶ国語や4ヶ国語話す人がごろごろいる。自分も日本語と英語と、あとドイツ語がまぁまぁだから3ヶ国語(実際は2.5くらい)と少し得意になってた時もあったけど、そういう人らと話してると、謙遜や嫌味で無く「3ヶ国語しか話せないよ」っていう返答になる。
で、そうした時にアメリカ、イギリス、ラリアなどの英語圏の人は「英語だけしか話せない」と肩身狭そう。ウィーンでも基本英語は通じるし、学生もみんな英語話すから生活するのに困ることはないんだろうけど、なんか残念だなと思う。

言語と文化というのは少なからず結びついてると僕は考えていて、そういう意味で英語やドイツ語という異国の言語を学ぶ過程で日本語という言語、日本という国について外から客観的に見つめ、再考させられる機会があった。言語の構造というのもあるけれど、それよりも例えば言語を勉強しに外国に行ってみたり、外国人と話してみたり。その中で、単に日本にいた時より日本について考えたり、日本人としてのアイデンティティを強く感じることが多くあった。

ドイツ語はともかく、世界共通語になっている英語に関しては、非英語圏の人皆がその重要性を認識し勉強している。英語が出来た方が良い職につけたり、というかそもそも英語が出来ないと職を得るのが大変という国も少なからず聞くし、インセンティブがある。一方で、英語が母国語の人は英語で大体何とかなってしまうので英語以外の言語を学ぶインセンティブが生まれにくい。彼らのほとんどは高校や大学で外国語を一つは学んではいるけれど、まぁ大学での第2外国語のことを考えてみたら分かるように、たかが知れてるレベル。

なんでこんな英語に時間や労力かけなあかんねん!とその習得にかかるコストに憤慨することは数多くあった。まぁ今もたまに(てか結構)思う。けれど振り返ってみると、英語の必要性への認識が、海外に行ってみたり、国際的な活動してみたりと貴重な機会に飛び込むきっかけになってたのは事実。その過程で自分の中の世界がどんどん広がっていった。英語圏ネイティブに生まれてたら、そういうことも無かったもしくは少なかったかもしれない。そう思うと、英語が母国語じゃなくて良かったなと思うのです。


まあ上で書いたように言語の習得というのは本当にコストが大きくて、その点英語圏ネイティブって得してるよなーと思うけれど、豊かな人生を送るって観点から見れば損してるのかもねと思う。

それに、世界共通語としての英語というのを考えればその話者は非ネイティブが圧倒的多数。だから僕達日本人もグローバル・イングリッシュの母国語話者とみなすこともできる。グローバル・イングリッシュにおいては必ずしも完璧な英語(表現やボキャブラリー等)である必要は無いから、そう考えると上で挙げたコストというのは思ってる以上には大きくないのかもしれない。


だから、英語圏に生まれなかったことを悔やむより、その分見識豊かなバイリンガル、トリリンガルになる潜在性が高いんだなくらいに考えたら良いのでないかと思う今日この頃。



おーわり


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19:00 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
3度の留学、1年半の海外生活を経て今思うこと。 | top | 適度なナショナリズムをー領土問題を考える。

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