Sun.

たかが留学、されど留学。(後)

Climbing wall


前回の記事で書いた留学のまとめのつづきをば。
留学して良かったなと思うことの3つ目。

3, 自分の至らなさ、また逆に海外の学生に対しても通用することの両方感じたこと

<通用したこと>
1, 企画力
イベントを企画するには不安が伴うし、それにうまくいくようにするためには正直少し泥臭くても、
細かい部分への気配りも必要。そういったものは世界共通なのだなと。
欧米人はアジアの人に比べてイベント(パーティ等含)を作ることに抵抗はないけれど、
それでも彼らもそうした過程で案外不安を感じてた。
それに彼らは細かい気配りが苦手だったりする(自分が気にし過ぎなのかもしれないが)。
逆にアジア人は細かい気配りはするけれど、イベントを自分が作ることに対して
少し恥ずかしがる人が多いなという印象。
そうした特質を知って、双方の良い部分を組み合わせればうまいこと企画はできる。
とにかくコンセプト作ってsynergy起こせるような場所と人の組み合わせ考えて
あとはオペレーションっていうしくみは海外でも全く同じだった。言語が違うだけ。
むしろオープンな人多い分人の組み合わせで気を使うことが少なくてラクだった。

つまりなんというか、当然なのかもしれないけれど、京大での2年間で培ってきた
“企画力”のようなものは案外海外でも通用するんだなと思えたことはとても興味深かった。
(そんなに大層なものは持ちあわせてないですが;)

あと実際にNPOをクライアントとして持ってコンサルプロジェクトをやっていたのだけれど
アラブ、中国、ベトナム、オランダからの留学生との協働を通し
例えばプランニング、タイムマネジメントといったプロジェクトマネジメントという側面では
日本でAIESECという学生団体で自分が培ってきたものは案外通用する、むしろリードできるとさえ感じたりした。

2, 突破力
ぶっこみ力、みたいな(笑)
結局人はみな、自分が本当に何が欲しいか、何がしたいかなんて大してわかってない。
そういう前提で自分のその時点での仮説をぶつけて物事を進めてくってのは大事なんじゃないかな。
例えば留学してる間にあった中休み(2週間)に、色々な国の十数人で旅行に行った。
その旅行の幹事というか取りまとめ?をしていたのだけれど、当然ながら
行き先決めるのも、何するか決めるのも正解なんてない。
その上で、自分選択が正しいとまずは自分で信じ、また周りにも納得させる、
信じさせることがリーダーシップであり突破力でないかなと。
十数人(しかも半数は初対面)をまとめてくのはかなり大変だったけれど
もう一人の幹事とともに色々議論を重ねつつ、最終的には自分自身は非常に楽しめ
多くの人がすごく楽しかったと言ってくれたので一応成功だったのでないかと思ってる。
たかが旅行の幹事で、と言われてしまえばそれまでなのだが
突破力とかリーダーシップとかそういったものは国籍人種関係なく
世界共通なのだなと感じれたのは大きかった。
今いるドイツでも、オーストラリアでの経験は自信につながってると感じてる。

3, 語学力
日本人の中ではある程度英語ができても、海外に行ったら全然通用しないんだなあと思ってた。
それは半分正解で、半分不正解だったなと思う。
当然初めの頃なんか授業も半分も理解できないことはザラで、周りも欧米は当然、
そしてアジア人もみんなめっちゃ英語できるなやべーと思ってた。
けどしばらく経ってみると、案外みんなできてないというか、完璧でないんだなと気づいてきた。
逆に「英語できるねー」と言われることもあったりして驚いた。
別に僕が英語できますよ、ってことを言いたいわけでは全く無く(てかまだまだだし)、
案外みんな(特にアジア人)できない状態でも留学来てるんだなということ。
当然ある程度できますよ。日本の平均よりずっと上。
けど完璧じゃない。
日本人も過度にビビらないで、もっと正規で留学(交換留学等でなく)したらいいのになってすごく思った。


<至らなさを感じたこと>
逆に
出来てないなー
まだまだだなー
と思ったことは主に2つ。

1, 欧米人とアジア人の壁
これは思った以上にかなり大きかった。チキったことも数知れず。
この二項対立を意識し過ぎて逆に欧米人に前よりコンプレックス持つようになったんじゃないか?と思うくらい。
ただそれも、今までの国際交流のスタイルが日本にべースがありすぎるもので、
今回の様にMinorityとして異国に来たことが無かったからかも。

個人ベースではだいぶましにはなった気はする。
彼らも自分の欲しい物、したいことがわかってる人ってそんなに多くないし、
そういう意味でこっちからガンガンいけば割りとすんなり仲良くなれたりする。

ただそれが周りの人も巻き込んでくとこまで行けなかった。
例えばイベント(partyとか)企画して、アジア人と欧米人を混ぜようとしても
結局みんなアジアはアジアで、欧米は欧米で固まることとか多くて、中々混ぜようとしても難しかった。
そりゃ結局個人次第だし俺ができることは限界あるんだろうけど、例
えば自分がHostじゃないイベントでも、自分の余裕があまり無くそこまで発想がいけなかったりした。
そのへんはもっと大きな懐を持てるようにしたいと常々思ってる。

2, 勉強への思い
やっぱみんな勉強してた。素直にすごいなーと。
この留学は勉強しよう、と思ってきていて、その思いは忘れず4ヶ月過ごしたけれど
やっぱりExchangeということで単位をあまり気にしなくて良い気楽さというのはたしかにあって、
そのseriousさってのには歯が立っていなかったなって思う。
京都にいた頃との比較では、明らかに勉強していたけれど、
それは自分の中の比較であって、他の学生に比べると及ばず。
これに関しては時間的な意味ではないかな。

時間は自分もかなり生活を効率化するように努め勉強に時間を割くようにはした。
むしろマインドセットの問題。
日本の大学の、学業以外での学びというものへの注力というのが身にしみていた。
自分の留学はは「勉強する」というが大きな目的の一つであったものの
そういう面では4ヶ月の交換留学ではいま一歩及ばなかったと言わざるを得ない。
もっともこれは、怠惰というよりも、価値の捉え方の変化が大きい様に思う。
勉強をしている思い出というのは特に残らないけれど、友達と夕飯を食べに行くというのは
(もしかしたら)一生残る思い出になるかもしれない。大げさだけれども。
単位時間あたりに得られる自分にとっての価値を見つめた時に、その時の自分、その時の環境では
そちらに明らかに軍配が上がり、そのような行動に至った。
もちろん勉強に打ち込むことが思い出に残らないわけではない。
京大合格に向けて懸命に勉強した受験時代は今も良い思い出。価値観というのは変化するもの。
勉強に懸命に打ち込むのは将来のMBA留学に譲ろうと思っている。

3, 団体に所属することはしなかった
この留学では「勉強する」ことのpriorityが高かったから、特別何か(学生)団体に所属することはしなかった。
過去に学生団体に所属していた経験から、きちんとコミットしようとするとかなり時間をとられると思ったから。
その選択が間違っていたとは思わない。
けれど、やっぱ異国の人との協働というのはもっとしてみたかったなあと思う。
グループワーク等を通しある程度こっちの学生が、前述のプランニングやタイムマネジメントの様な
オペレーション?の面でどれくらいデキルのかというイメージはつかめたが
精力的にそういった団体に参加するような「デキる奴」と協働競争してみたかったなあと思う。

....

なんか留学行ったって人は割と周りでいたけれど
案外みんなさりげなく、シュッと終わってるなって印象があって
自分の目立ちたがりの性格も手伝って
こうやってブログ書いたり、鬱陶しいくらいfacebook更新したりしてた。
現時点では日本では留学はまだありきたりなものにはなってないと思うし
せっかく行く機会をもらえたんだからそれを発信する責任はあるんじゃないかって勝手に思ってた。

いつも自分の両手で抱えられる以上のものを望んで、
高望みのせいで失敗したり惨めな思いしたり
落ち込んだことも数知れず。

でも、ボッシュの社長の織田秀明さんも言ってるように
刺激を受けるだけでなく、自分も多様性の一つとして刺激を与えられる存在でいたかった。
何より自分のオナニーで終わりたくは無かった。

自分では、沢山至らなさを感じて、そして少しはインパクトを与えられたんじゃないかなあ。
まーでも自分では自己評価しかできないし結局オナニーなのかもしれないけれど(笑)
いづれにせよ、その真価が問われるのはこれからでしょう。


この留学は、例えば英語の試験だったり成績だったり、
ある意味自分で努力して掴んだものではあったけれど
特に経済面、そしてその他色々な面で支えてくれていた家族。
そして応援してくれた友人なしには成し得なかったのだなあとしみじみと感じます。
本当に恵まれていたなと。
ありがとう。

だからこそ、こうして自分が経験したことがもしかして誰かの役に立てばと思って書いているし
これからもし何か自分が力になれることがあれば協力を惜しまない所存です。

今これは次のdestinationのドイツで書いています.
これからはきちんと定期的に週2回更新してこうと思うので
これからもどうぞよろしくです(・・)/

Nao
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19:10 | study abroad_Australia | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Fri.

たかが留学、されど留学。(前)

Crossing over to Peru!


「留学行く」って言うと
ああ英語これから大事だもんね、って言う人は多いけれど
僕のメインの目的は別に英語力向上ではありませんでした。
もちろん英語力は伸ばそうとは思っていましたが、メインではないってこと。
そもそも交換留学なら専門科目の授業を全て英語で受けるんだから
ある程度英語できないと話にならないですし。
(*留学行くハードルを上げるつもりはなく、日本でもできることはすべきって意味で)
ってことで個人的には世界の中での自分のレベルを客観的に見つめることでした。

まぁそんな感じの目的を前提として行ってきたオーストラリア/メルボルン大学への留学で
行ってよかったなと思うことは主に3つ。
心から親友と思える外国人の友人ができたこと。”Minorityになる”経験ができたこと。
そして、自分の至らなさ、また逆に海外の学生に対しても通用することの両方感じたこと。

1, 心から親友と思える外国人の友人ができたこと。
すごくありきたりではあるけれどこれは本当に。
これまでも外国人の友人の友達はたくさんいたけれど、本当の意味での親友というのは
そんなに数いなかったんじゃないかと思う。
英語力が伸びたのもあるかもだけど、やっぱり↓にも書くようにMinorityとして暮らしてみる事で
自分の中で、外国人の人との間に無意識に作っていた壁が溶けていったからじゃないかと思う。
(関連:今更だけど、初めて言語の壁を超えたかも)


2, ”Minorityになる”経験ができたこと
先進国とは言え全くルールも人も知らない異国に来て、その地のMinorityとして暮らしてみる。
大変なこと、悩んだことは沢山あったし、最初の頃は帰りたいと思ったこともあるけれど
その中でもがいた経験はやはり貴重だったと思う。

Minorityであるが故、日々比較の毎日で、誰かと関わる時、必ずそこには「国」という
フィルターを通して人を見ている自分がいた。
悪いことではないと思う。
国(国籍というよりは民族的な意味合い)が個人に与える影響というのはやはり大きい。

例えばオーストラリアにはABC(Australian Born Chinese)と呼ばれる人がたくさんいる。
そういう人に会う度に、僕は”How do you identify yourself?”という質問を必ずしてきた。
僕が聞いた人はほぼ全員、オーストラリアで生まれ育っていても、やはり自分を中国人とidentifyしていた。
僕から見ても、彼らの行動はオーストラリア人とはまた違っている印象を受けた。
(もっとも、中国本土の中国人ともまた少し違うのであるが)

この様に影響の大きい「国」というフィルターを通し人を見てきて、それぞれの国に対する
イメージというのが定着また変化することは多かった。
同時に近くのアジアはなんだか知った気になっていたが、知らないことの多さに改めて驚くことも数知れなかった。
異国の人とinteractした時に、言動からその国の文化のイメージを形作ることは多い。
上でも述べたように国が個人に与える影響は多いからだ。
ただし、「国」というフィルターを通して人を見ることがいつも良いわけではない。
当然のことながら、一口に”日本人”と言っても千差万別である様に
同じ国の人でも個人によって性質・性格は様々だ。
(参考:「文化の違い」という結論に逃げるな)

つまり、国と個人はある程度分けて冷静に見つめる必要もある。
全て国の違い、文化の違い、ということにしてしまうと誤ったイメージを持ってしまうこともあるからだ。(例:ニュースや一部過激派の人の話を聞き中国人はみな日本が嫌い、と思ってしまうなど)
結局国に対する絶対的に正しいイメージなど無いのだろう。
その国の人全員と会って話ができれば可能かもしれないけれどそれは現実的に不可能。

だから
ミクロな視点とマクロな視点、つまり個人と国への視点に適度な距離感を持ち、
一人一人がよりフラットな視点を持つことが、国際理解につながっていくのでないかな。草の根ではあるけれど。

そういう意味で、この4ヶ月を通し、国や個人をよりフラットな視点で見つめる様になれたと思う。

またMinorityとして生活してみて、日本にいた時には気づかなかった
日本にいるMinority(例えば在日外国人とか留学生とか)の気持ちがもっとリアルにわかった気がする。
彼らのためにもっとできたことがあったなあと感じることは多々あった。
ともすればクローズドと受け取られてしまう日本をよりよい場所にする、
と大それたことはできなくとも少なくとも自分が感じてる日本の良さをもっとうまく伝えられたんじゃないかなあと。
例えば日本人と仲良くなりたいと思っている外国人と、
外国人と仲良くなりたいと思っている日本人をつなげる何かとかできたらなって。
それはまた日本に帰った時に形にしていきたいなと思ってる。


3, 自分の至らなさ、また逆に海外の学生に対しても通用することの両方感じたこと

長くなりそうなのでこれに関しては次の記事で。

(つづく)
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19:03 | study abroad_Australia | comments (2) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Fri.

Internationalぶってたチョドメな自分。

japan-map-heart


オーストラリアでの生活もいよいよあと1週間ほどになったので
色々と考えていたことを。


京都いた時、留学生を始めとした外国人とは結構絡んで、internationalじゃね自分とか思ってた。
でもそれって「留学生と絡もう、外国人と絡もう!」みたいな想いが先にあって
それで絡んでた感じ。
普通の日本人の友達と留学生の友達というのは自分の中で
無意識のうちにカテゴリ分けされていて、差を作っていたなーと。
だから、英語力とかそれ以前の話で、本当に日本人の友達と同じように
何でも話せる友達ってそこまで多くなかったかかもなって思う。
外国人を日本人と明確に区別し、”人”というフィルター以前に
“外国人”というフィルターで見ていた、という様な面があったなぁと。
そういう意味で、京都にいた時の自分はInternationalぶってるたけで
超ドメスティック(=チョドメ)だったなと。

こっちでは、外国人と絡もう!っていうか周りが色々な国籍の人ばかりだから
当然そんなカテゴライズなんてしてられない。
そもそも外国人ばかりなんだから彼らと友達になるしかない。垣根なんか作ってられない。
そういう過程で今まで無意識のうちに自分の中に作っていた壁が、壊れていった気がする。

それに加えて、自分がMinorityになる経験をして分かったことがたくさんある。
例えば日本に来てた留学生が、「日本人の友達作るの案外むずかしい」
とかこぼしてたことがあって
そん時は「え?そのへんにいくらでもいるじゃん」と思っていたけれど
なんだか分かる気がする。
半年とかの短期間でその地とかその人に溶け込むってのはやっぱりむつかしいものがある。
俺も振り返ってみるとオーストラリア人の知り合い全然いないや。笑

加えて、日本人だけど海外生活がすごく長い人とか、在日の外国人の人とか、
あと別に純ジャパであっても、一般的な”日本人”の枠からははみ出している人への理解が深まったかなって思う。

帰ったらもっと、自然体で留学生とか、外国人、枠からはみ出している人
(←言い方適切でないかもしれないですが、positiveな意味でです。)
と関わることができるんじゃないかなって、今は思えてる。

旅とはまた違うんです。
色々な国、土地を肌で感じて回れる旅も楽しいし学べることは多いけれど
やっぱりいいとこ取り感は否めない。(楽しみのために旅するんだから当然ではありますが笑)

異国の土地に、良くも悪くも比較的長期間縛られてMinorityとして生活してみるってのは
大変だし辛いこと、帰りたくなることもあるけれど、学べることやっぱり沢山あるなって思う。

そういう意味で、まぁ英語力向上っていうのももちろん大事だろうけど
“Minorityになる経験をする”っていうだけでも、留学とかってのはすごく意義があると思う。

今は、こういう貴重な経験をさせてもらえてるきっかけである親や大学の留学生課の方にただただ感謝です。


そんな感じの留学のススメ。


おわり

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19:21 | study abroad_Australia | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Fri.

やっと座学の必要性が分かってきたわ。

Marketing to Latinos


MarketingとかManagementとかって
仕事を通しての方が学べるんでない?
なんで机の上で理論ばっか学んでんの?
とか思ってなんだか学問として学ぶことにかなり抵抗があったのだけれど
最近になってやっと、学ぶ意義というかが見えてきた気がする。
ビジネスを大枠でとらえて俯瞰できるのは今だからこそできるものなのでないかと。

ここオーストラリアでの留学生活もほぼ終わりかけなので
日本の高等教育を受けてきた者から見た座学への捉え方の変化にしばしお付き合いを?。


序盤:「うおおおおw教室めちゃキレイwktk」

初めは全てが真新しくて頭お花畑だった。
農学部のくせに意気揚々とBusinessの学部に入った僕は
Management, Marketing, Accounting(会計)の初級のクラスを履修した。(詳しくはこちら)

教室はめちゃキレイだし周りを見渡せばiPadかMacでノートを取る人がほとんど。
授業全部英語だし(当たり前)value creationとかstrategic managementとかめちゃ響き良い。

全てが新鮮で勉強たのしーーー!!て感じだった。

中盤:「マーケティングなんて当たり前のことにそれっぽい名前つけてる自己満じゃねww」
良くも悪くも人間というのは慣れるもの。
段々とこちらの授業のペースに慣れてきて、授業もだいぶ聞き取れるようになってきた。
そうして改めて考えてみて、なんだか自分のやってるこって机上の空論なんで無いのって思ってきた。
みんなビジネスマンとして成功したいとか社長になりたいって思ってるのに
ビジネスマンでもない教授の理論を聞いて(Managementの教授は元コンサルの人でしたが)
机に向かって分厚い教科書読むことに違和感を感じてきた。


自分は京大にいた2年間でBusinessを学問として学んだことは無いけれど
課外活動やらバイトやらを通して社会と触れて、少しはBusinessに触れてた気がしてた。

彼らはそれっぽい理論について学んだり議論してるけど、本当にそれで人、チーム、
そして会社を動かして行ったりできるのかなあと。

日本では、(少なくとも僕の周りでは)ほとんどの人がバイトはしてたし
課外活動やら何やらを通して社会人とかビジネスに触れてる人は圧倒的に多い気がした。


授業には休まず行ってたけど、Marketingなんて当たり前のことに
それっぽい名前つけてる自己満にしか感じられなかったし(初級のクラスだったのも大きとは思う)
理論理論の授業にうんざりしてきてた。それ実用性あんの?って。

みんな熱心に授業聞いて真面目に教科書とか広げてるけど本当にこういう人たちが将来、
優秀なビジネスマンになるのか疑問だった。

MarketingとかManagementとか、学問として学ぶより現場で学んだ方が圧倒的に良いでしょって思って
だからこそ日本の、学校の勉強投げ捨てて課外活動に熱を上げる学生たちや
あまり学部関係無く就職できるシステムにも納得してた。


終盤(イマココ):”Aha”体験
けどいま、テスト勉強を通して今までの授業を振り返る中でやっと
理論だとか、座学としてBusinessを学ぶ意義が見えてきた気がする。

当然のことなのだけれど、Businessとか社会の枠組みを大枠で捉えられるのは
今だからこそできることだよなって思えてきた。
社会に出たら当然本物のBusinessには触れるわけだけれど
やっぱり、(特に初めのうちは)細部のことに関わることが多く
色々なケースに触れたり、包括的視点というか大枠で捉えられる機会は減ってくるんじゃないかなって。

理論に対してもなんだか抵抗感を持ってたけれど、そうした理論も
実際のケースとか事象をベースにポイントを抽出して作られたものなんだろうし
100%適応できはしなくても、参考になるのは確実。
実際理論とか聞いてて、あぁ確かに去年学祭で模擬店やった時
がむしゃらにやってみんなに助けてもらって4日で40万とか売り上げたけど
こういう手段とったらもっと収益上がったかな、とか
こういう方法とってたらもっとみんな気持よく動いて楽しくやれたかなと思ったりした。

Marketingの教授が最後の授業で”There’s nothing so practical as a good theory”
と言ってたのもそういうことなんだろうなと今更ながら納得。

少なくとも20歳の若造が少しの経験と頭で考えだした主張より説得力があるのは確実ですしね。

理論武装の頭でっかちにはなりたくないけど、現場至上主義というか
働くことでしかBusinessなんて学べないでしょと思ってた自分まだまだだったなぁと思った。

それにデキる学生ほど勉強熱心なだけでなくなんか団体入ったりして
会社との接点持とうとしていたりする現状にも気づいた。


....という感じで少しは座学に触れて学んだな、と思ったところで
逆に学べば学ぶほど感じる自分の勉強不足。
いや本当に本当に世の中のことなんもわかっちゃいないな自分と。
結局一生勉強なんでしょうね。

今はもっと大きい視点で世界を見たい、経済を眺めたいなという思いが強くなってきました。
とりあえずは次のドイツ、そしてウィーンで、ヨーロッパの経済を肌で感じながら
国際経済等を学びたいなと。
そんで回り回ってきちんと専門の農学の部門ももっともっと学を深めてかねばと。

ひゃー勉強することいっぱいだ(・・)
がんばろー

.....

まぁこっちの学生は上で書いたようなことを「は?当然っしょ?」と思って学んでるんだろうけど
自分としては表面的に納得するんじゃなくて
批判的な視点等、紆余曲折を経て今こうした結論に落ち着いてよかったなーと思っとります。


おわり


Today's Book

世界を8つに分け世界経済/政治について書いてる本。
難解な本では無いけれど、すごくとっつきやすいわけでもないかな。
でもパラパラと読んでくだけでも、へーこの国ってこういうこと考えてたんだ、
などと自分が見てきた世界がなんだかつながる感じがして面白かった。
世界を俯瞰してみたいと思う人はぜひ手にとってみてください。

ハーバードの「世界を動かす授業」 ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方ハーバードの「世界を動かす授業」 ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方
(2010/08/27)
リチャード・ヴィートー、仲條 亮子 他

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18:59 | study abroad_Australia | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

Categorizeとlabelingが好きな日本人

multiple job offers


“優秀”って?
今まで日本で生きてきて、数知れず
「彼は賢い」とか「あの子は優秀だ」なんてことを耳にしてきました。
それに乗じて自分も、あいつは優秀であの人はそうでもなくて..
なんて無意識のうちにもカテゴラズすることが多かったけど
最近、「優秀」の定義ってなんだろう?
てずっと考えてた。

<デジタル大辞泉より>
ゆう‐しゅう 〔イウシウ〕 【優秀】 
 
[名・形動]非常にすぐれていること。また、そのさま。「―な人材」「成績―」



なんのこっちゃ。

でも当然だけど、世の中にはフィールドとか分野ってのはいくらでもあるわけで
イチローは野球の分野で間違いなく優秀だけどイチローに相撲やらせても
うげってなっちゃうだろうし
アインシュタインにサラリーマンやらせてもどうなんだろうって感じですよね。

この前少し就活してみて思ったけれど、業界が違えば求める優秀さってのは違うだろうし
同じ業界内でも企業が違えばまたそれは微妙に異なってきたりもするのでしょう。
外資系投資銀行とか外資系コンサル、そういう俗に言うトップ企業に内定をもらった先輩も
よくよく聞いていると「いやでも別のとこはあっさり落ちたよー」と言っていたり。


Categorizeとlabelingが好きな日本人
日本人ってあの人はこうで、この人はこうで...
ってカテゴリ分けしてラベルを貼るのが好きなんじゃないかって思う。
日本人同士でまずはじめに会ったら、年齢とか年次を聞いて
それから敬語で話すとかそうでないとか判断することが多いですよね。
英語で生きてる人たちからすると、仲良い友だちの年齢とか年次を
1年経ってから知ったとかいうのはザラにある。
つまり相手の立ち位置というものを相対的に把握し
ラベリングしてそこに当てはめたいんじゃないかな。
それは確かにコミュニケーションを円滑にするけれど
一方で相手に、ラベリングしたものとは異種の行動、
予期しない行動をされたり特徴を発見するのが怖いんじゃないか。
変化や不安定さへの過度な不安というか。


因数分解して考える弱さ
先の自分の、あの人は優秀だとラベルを貼りたがるという例で言えば
ある人を優秀、とラベル付けしてしまえばその人の言うことは大体信じて良い、
と判断ができ自分が考える手間が省けラクができるという心理が働いたんじゃないかなと。

個人とか事象には絶対的な一面というのはなくて
詳細を見るととその中の要素には正しいものもそうでないものも含まれているのに
それを因数分解して見る能力の欠落、そして怠惰。
まぁ当然自分の能力の無さによるのだけれど
正解のあるものに答えを出していくことを基本とする日本の教育の影響もあるのかなと。


日本の教育システム
現状の日本の教育システムだと正解のある問いに答えを出していく能力は鍛えられるけど
正解の無い問いに対して自分の頭で考えて、絶対正解なわけではないけれど答えを出していく
そういったことが欠けていると思う。

例えば大学入試をとって考えてみると
日本のセンター試験+二次試験といった正解の存在する画一的なテストとは異なり
アメリカでは、試験に加え、その大学への出願理由といった
正解の存在しない、一人一人異なる内容のエッセイを重視する。
こうした入学試験のシステムからも、日本人は物事には絶対的な正解がある
という考えを抱きがちになるのではないでしょうか。

けれど、逆にその正解に対して答えを出していく能力の高さのおかげで
カイゼンを重ね世界に誇る技術が生まれてきたという背景もあるんじゃないかと思う。


だから
技術に代表される様な現場力を束ね、世界のプラットフォームに乗せていく
もしくはそれを構築していく構想力が、今は求められてるんじゃないかなと。

そしてその構想力というのはやはり正解の無い問いに対して仮説を立て検証していく
中で鍛えられていくんじゃないだろうか。
わからんけど。

つまり、今も根強い現場力に
正解の無い問いに対しても答えを出していける、デザインしていける構想力が加われば
日本最強じゃね?
っていう。

そんなわけで最近は「構想力」が自分の中のキーワード。


Today’s Book
「マッキンゼーとかコンサルティングなんて怪しい仕事やめときなよ」
と皆が口を揃えて言っていたという時代にマッキンゼーに入社し
以後MBA、投資銀行、ベンチャーキャピタルを経て
様々な外資系企業の社長を歴任してきた藤井清孝さんの本。
会ったことはないけれど、尊敬する人の一人です。
面白いのは外資系ばかり渡り歩いている人ほど、誰よりも日本人的マインドを持ち
日本についてアツく考えていたりするところ。

僕が「構想力」とか言い出したのも完全にこの影響です。笑
-日本/日本人ってもっと世界やれんじゃないの?
-そのために何が必要なんだろ?
とか思ってる方はぜひ。


グローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのかグローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか
(2009/01/17)
藤井 清孝

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Sun.

動くこと。考えること。動きながら考えること。

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発信者と受け手の差について書いた前の記事にやや関連して。

何かを決断する時、人は悩み、迷う。
でも結局事実として残るのは、やったか、やってないかの2つだけじゃないかと最近思う。

例えば留学。
費用、留年、英語力。思いとどまる理由はいくらでもあるでしょう。
けどそこでいくら悩んでも、結局外部からは
留学したのか、してないのか。
基本そこしか見えない。

もちろん自分ではどうすることもできない外部要因もあると思う。
でも結局は自分次第。費用が足りないなら睡眠時間削って働く。
英語力足りないなら1日15時間くらい勉強してみる。
自分で何とかなることはきっとあるはず。結局言い訳してるだけ、ということもあるのでは。

海外に出る事は賛否両論。
今はtrendで海外に出ることがすごく評価されてるけれど、そんなことはどっちでも良かった。
周り全員に反対されてもきっと行ってた。
要は自分が価値を感じてそれをしたいのかどうか。
自分は世界の中での自分の立ち位置を客観的に把握ておきたかった。
周りの人には色々言わせておけば良い。”妥当性”“意義”っていうのは人に与えられるものでもなし。
自分で決断した後は、その決断が正しいことを証明するために必死で動くだけでしょう。

大学生活2年間ちょっとの間に、サークルやバイトを7,8個やり
旅/国際会議/2度の留学/海外インターンで5大陸20数カ国に足を運んでみたりして
つくづく自分て行動バカなと自嘲したりもする。
けれど、自分の本心に従ってしてきたことは無駄なことは無かったなと思う、
というか無駄にしないようにと動いてきた。
それに、考えることは別に、立ち止まってしなくちゃいけないもんでもないですよね.
毎日書いてる日記も今年で4年目。20冊を越えた。
「動く人にとっては立ち止まることが苦痛なのかもね」という友人の声を思い出す。
とりあえずやってみてから考える、悩む、迷う。動きながら考える。
そんな生き方もありなんじゃないかなと。


「今の時代は不景気だし、先行きも見えにくくて..」
と環境を責めても良いけれど、気持ちの持ちようは何時の時代も自由なはず。
保育園、小学校、中学、高校、大学。家庭問題等で苦しんだ時期もあったけれど、
それぞれのフェーズで今が一番楽しいと思ってきたし、きっと社会人だって楽しめるはず。
未来のことを考えるといつもワクワクする。
苦しいことも、振り返って見れば自分を成長させてくれた良い思い出。

下で紹介する常見さんも言うように、世の中を論じるのも良いけれど
論じてだけいても何も変わらない。論じてる時間があったら
自分なら何ができるのかを必死で考えて、具体的なアクションを起こす。
行動を積み重ねて行かないときっと、何も変わっていかない。


賞賛も批判も、いくらでも言わせておきましょうよ。
自分はそれを客観的にとらえ、良いとこは認め悪いとこは反省し、アクションに落としこんでいくだけ。
とらわれない人は先に進んでる。
「意義は?」「妥当性は?」
尋ねたり探したりするのは止めて、考えながら動いて、創っていきましょうよ。


スマートじゃなくても、泥臭くても、自分の気持ちに素直に真剣に取り組む。
そんな愚直な生き方を、していきたいと思った。
誰よりも、自分の人生に対しては当事者でいたい。


...
書いてる中で自分の至らなさに嫌気も差したけれど、
とりあえず20歳の今の、等身大の気持ちを書いてみようと思った。


日本も、日本人も。もっと頑張れるはず。
がんばりましょう.


Today's Book

「キャリアアップ」のバカヤロー 自己啓発と転職の“罠”にはまらないために (講談社プラスアルファ新書)「キャリアアップ」のバカヤロー 自己啓発と転職の“罠”にはまらないために (講談社プラスアルファ新書)
(2011/04/21)
常見 陽平

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この記事を書こうと思ったきっかけになった本。
「キャリアアップ」「転職」「自己啓発」。そういうものにとらわれないで
目の前のことにマジになる、愚直な生き方をしていこうよというメッセージ。
働くというのはどういうことなのか、今一度考えさせられました。
特に後半部分は生き方についても示唆に富んだ内容です。
自己分析で悩んでる就活生などぜひ。

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19:15 | study abroad_Australia | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sun.

ガラパゴス”グローバル人材”にはなれてるかもだけど。

World on a String


最近感じてる悩みというか矛盾をつらつらと。

今までの京大での生活、先輩の話、あと実際少し就活とかしてみて感じたこと。
やや傲慢であるとは思うけれど、
日本で就活すれば、大学でしてきたこと、留学経験、あと京大ブランドも一応手伝って
それなりの会社に入って、まぁやってけるんじゃないかと思う。
「グローバル人材」として海外出て仕事して、良い結果も残せるかもしれない。

けどじゃあ今ここラリアで就活しよう、ってなった時、
大企業はもちろん、中小企業、そしてその辺のカフェにでさえも、雇ってもらえる気がしない。
まず、なぜ現地の人でなく日本人をわざわざ雇うのか。
その理由を満たせる人材である必要がある。
英語力は劣ってるし、オーストラリア社会(マーケット)への理解も当然欠けてる。
学校の成績だってめちゃくちゃ良いわけじゃない。
ここメルボルン大学で言えば、高く見積もっても平均かそれ以下くらいのレベルにいる。
バイトは色々したけど本格的な企業でのインターン経験も無い。
日本はポテンシャルを見て採用してくれるから、大学のサークルでこんなことしました、
って言って雇ってもらえるかもしんないけど
こっちでは最初から即戦力として「君は何ができるの?」ということを問われる。
だから現地の学生は中学高校の頃からコネも駆使してバイトやインターン経験を積み
また好成績を残し、何かの賞をとるのに必死だという。
「海外で就職ワンチャンあるな〜」なんてほざいてたけど
そんなん聞いてたら、海外で就職なんて、到底できる気がしない。
単純に「システムの違い」で片付けられるものなのか?

以下ガラパゴス化する「グローバル人材」より

(前略)
どうも、このグローバル人材というのが、日本独自の「グローバル人材」なのだ。グローバル人材の定義もガラパゴス化しているのだ(笑)

おそらくこのグローバル人材というのは、英語の global talent の訳語だとおもわれるのだが、global telent とグローバル人材は定義がだいぶ異なる。

global talent とは、それこそ、世界のどこでも通用するような才能をもった人材だ。経営者でいえば、ジャック・ウェルチやルイス・ガースナーのような人、皆が知っているところでは、スティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグといった起業家、世界中で通用するリーダーである。これが世界で共通認識のglobal talentだ
(中略)
日本企業のグローバル人材とは、端的に言ってしまえば
日本企業の海外事業や、海外でのオペレーションを管理できる人材
ということになる。つまり、あくまで、日本企業内での人材なのだ。



海外インターン、留学、国際会議等経験してきて、グローバル人材に近づけてきたかな、
なんて思ってたけど、↑みたいなこと考えてたら世界のどこでも需要がある”global talent” になんて、まだまだ。

で、感じる矛盾はここから。

初めに書いた様に、日本でだったら良い会社に入れるかもしれない。
それも、世界でも通用する大企業に。
例えば総合商社に入ったとする。
海外の絡む案件で、様々な国の会社と交渉をする。
相手が大企業でなければ、言い方は悪いが、商社側が優位で見下すこともあるかもしれない。
オーストラリアの会社とビジネスをすることになった。
相手は中小企業。商社の規模の方が断然大きいので
こちらが優位に、交渉を進められる。上手く渡り合えるだろう。

けれど。

上に書いた様に、初めからそのラリアの中小企業には入ろうとしたら、入れる気がしないんですよ。
入れても、大したポジションでないところで、こき使われるだけかもしれない。
日本の商社マンとして対峙した場合には頭を下げられる相手に、
一生頭を下げ続けるポジションで終わるかもしれない。
給料もずっと低いでしょう。

なんというか、
自分が持っている(と妄想していた)”グローバル”人材としての能力は
日本企業においてのみ通用する”ガラパゴス”な能力だったのかなと。

もし世界でも名の知られている日本の大企業には入れても、それは自分の努力というより
日本に生まれたという幸運によるものなのかなぁって。

自分がもしインド人だったら?
自分がもしブルキナファソに生まれてたら?

今と同じ性格、能力を持って生まれてきていたとしても
日本で生まれてきた場合の未来と、同じレベルの職を手にできるのか?
同じだけの給料をもらえるのか?
当然幸せの指標はお金や地位で測れるものではないけれど
一つの比較基準として。


「Are you gonna work in Japan or foreign countries?」と聞かれ
「I think I’m gonna start working in Japan」なんて言ってたけど
実際は「I CAN ONLY start working in Japan」というだけ。

日本人として生まれたというのは紛れもなく幸運であり
そのルーツは大事にして仕事をしたいし、生きていたいと思う。
けれど国籍を超えて通用するGlobal Talentにもなりたい。
何が必要なんだろうな。


とりあえず今は目の前の山積みのAssignment(課題)がんばろ。

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20:56 | study abroad_Australia | comments (4) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Tue.

英語かぶれとグローバル・スタンダード

letters


「それってフェアじゃないよね」「ディテールにフォーカスできてる?」
そんな会話を聞いてると、いや日本語使えよww
って思うことがちょくちょく。

就活で会社での説明会とか行っても、”イシュー”だとか”フォーカス”とか
そんな言葉がよく使われてて、なんか胡散臭いなって思ってた。

そう思ってたのは池上さんの本(伝える力)を読んだあたりから。
カタカナ語って結局大して意味を分からず使われてること多いなと思って
中身の無い話をしないようにするために、あまり使わないようにしようと意識してた。

でも留学来てて、最近、英語の方がうまく表現できる思いとか、
表現しやすい言葉があると思うことがある。
そう思った時、なぜ世界を相手にビジネスをしているトップの人ほど、
そういう言葉を使うのかが分かってきた。
結局その方が伝えたいことを分かりやすく、クリアに表現できるからなんだろうな。
そう思ったら、なんか言語にこだわって「英語かぶれ」ということを
過剰に意識してた自分が恥ずかしくなった。

もちろん意味も分からず使ってる人も少なからずいるだろうし(自分含め)
カタカナ語を多用するのもどうかと思うけれど
伝えたいことを伝える時に言語に縛られるのは勿体無いですよね。

ただかぶれてるだけなのか。それともより正確に表現できるからなのか。
そういったことを意識して、もっと素直に、
自分の想いを、言葉を紡いでいこうと思った。

Today's Books

もともと楽天の社内公用語英語化には懐疑的で、
トレンドに流された茶番でしか無いと思っていたのだけれど
闇雲に反対するのも良くないだろうということで読んでみた本。
タイトルの通り、彼はたかが英語、ツールに過ぎないと主張。
「今後業務にEXCELが必要なのでEXCELの使い方を覚えてください」と
「今後業務に英語が必要なので英語を使える様にしてください」は何ら変わりないということ。
確かに時間と手間はかかるかもしれないけど「たかが英語」。
三木谷さんの、公用語英語化という施策の背後にある日本社会への想いを知って感銘を受けた。
英語に足を取られて自分の能力をグローバルに発揮できないなんて勿体無い。


たかが英語!たかが英語!
(2012/06/28)
三木谷 浩史

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19:06 | study abroad_Australia | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sun.

発信者と受け手の圧倒的な差。

corporate-presentation.jpg

例えば
僕が日々ここに書き綴っているいち意見は
論理性に欠けることもあるかもしれない。根拠が曖昧なこともあるかもしれない。

だけど。
あなたは読んでいる。
発信される意見に対し、読み手は圧倒的に受け身だ。
「お前何言ってんの?」などと反感を持っても
その意見を僕は知らない。
発信する立場、それを受け取り、反応する立場。
この差は、思ってるよりもでかい。

Amazonの書籍レビューも一緒。
素晴らしい本、そうでない本、色々とあるけれど
結局どんだけレビューで批判しても、本の著者は発信者であって
レビュアーは受け手でしかない。
彼らのレビューは、本の書き手が発信した内容に対するリプライであって
結局批判している本そのものに依存してのみしか存在し得ないもの。
2ちゃんねるであーだこーだ言ってる人も、事象にただ反応してる人々の集まり。

例えば楽天が社内公用語英語化には、賛否両論ありますね。
けど誰がどんだけ批判しようと、彼らはやっている。
徹底的にやりきった。
絶対正しいことなんて世の中に無いんだから、何かをすれば批判はつきもの。
もちろん行動を起こすことが全て良いことではないですよ。(ヒトラーなど)

それでも。
何もせず事象に反応する立場と行動し批判される立場。
この両者の圧倒的な差。
ここに早くと、気づいたほうが良い。

Today's Book
小説としてめちゃくちゃ面白く2時間くらいで一気に読んでしまった。
一昔前に世間をにぎわせたホリエモン。
僕はライブドア事件を表面的にしか知らず
彼を「なんとなく悪いことした人なんだな」としか認識してなかった。
しかしこの本を通し、「お金」を持つものの思考、
マスコミに流されてく世の中の仕組み、そして彼の正義感。
そういったものを感じ、堀江さんが好きになった。
本人による本であるし、結局自分も一面しか見れていないのかもしれない。
けれど、彼の全人格は知らないけれど、学ぶべき所、感ずる点はたくさんある。
"金"というもの、世の中の仕組みに興味のある人には、ぜひ読んでみて欲しい。

参考記事:池田信夫Blog 『拝金』, 金融日記 『拝金、堀江貴文』


拝金拝金
(2010/06/17)
堀江 貴文

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18:20 | study abroad_Australia | comments (2) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Fri.

今更だけど、初めて言語の壁を超えたかも。

Friends

今まで生きてきて、外国人の友達は数多くいた。
ドイツ住んでた時の友達とか、京大に来てた留学生。
世界のAIESECの友人、旅先で出会った人などなど。
facebookの(表面上の)友達数だけで言えば、
5大陸50カ国以上に拡がる友達。

でもどんだけ数が増えても、なんだか、
日本人相手だったらこう言えるのにな。
とか
日本語だったらこんな話ができるのに。
そんな壁や、いま一歩踏み込めてない感覚をいつもどこかで持っていた。

けれど今留学に来ていて、初めて心から、言いたいこと言えて、なんでも話ができる。
そんな友達ができました。

彼はカナダ育ちの中国人。初めは何かのパーティとかで会った。
それから一緒に遊んだり、10人以上の旅行をorganizeしたりする中で
今悩んでることやこれからの人生のこと、話したいこと全部、話せるようになった。
日本語や日本人と話す時と遜色なく、意思疎通できてる。

国際交流の初めの一歩みたいなことなんだけど
なんか自分の中で感じてた壁を、初めて超えたれた感じがして今すごく嬉しい。
留学来て少しは英語力が向上したというのもあるのかもしれない。

彼に出会えただけでも、この留学に来てよかったなと、心から思えてる。

今まで仲良くなって来た人達とも、もっと踏み込んでいきたい。
もっと話したい。もっと深く、仲良くなりたい。
そんな想いがあふれてる、なう。

次に行くドイツ、オーストリアでの留学も超楽しみになってきた。
ひとまずあと2ヶ月ちょっとメルボルン生活、毎日を大切に楽しんでいきたいと思います。

Today's Book
デューク、イェール、ハーバード、オックスフォードなど、名だたる大学を経て
シンクタンク、政治家も経験されている田村耕太郎さんの本。
その名の通り海外に行く事への魅力を熱く語っている。
ただ、何がなんでも出れば良いわけでなく、
きちんと準備し詰め込んでいけというメッセージに特に共感。
何歳の人でも、手にとって見て損は無いと思う。

君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?
(2012/06/28)
田村 耕太郎

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