Sun.

【書評/『採用基準』】地頭より論理的思考力より大切なもの

4478023417.jpg


久しぶりの更新。
日本に3週間くらい帰ってて、本日ドイツにまたとんぼ帰り。
3月からのウィーン留学に向けしばし自分で語学と専門の勉強をするつもりです。

さて。

経営戦略コンサルティング会社マッキンゼーにて12年間採用マネージャーを務めた
著者によるこれからの日本に必要なリーダーシップについての提言。
この前ちょうどマッキンゼーの説明会いって「かっこええなあ」
と影響されたばかり(安直)だったので読んでみた。
実は匿名ブロガーのちきりんと同一人物でないかと言われてるのだけれどそれはまた別のお話。


当然マッキンゼーでの経験をもとに書かれているのだけれど
マッキンゼーの採用基準を書いてあるというよりは、筆者が考える
これからの日本全体に必要とされる人材の必要要件について書かれてる。

はじめは、誤解されがちなマッキンゼーの採用基準についての釈明、
その後は一貫して、日本という国に必要なリーダーシップについて。


外資系コンサルの採用といえば就活生の間では
「日本にあるポストの数はいくつ?」とか
「日本のノーベル賞受賞者の数を上げるには?」
といった、地頭の良さを問う奇想天外な質問をされる”ケース面接”が有名で
ひたすらに地頭の良い、ロジックに強い人が行くものだと思われてる。
でも地頭より論理的思考力より大切なのはリーダーシップだと、筆者は言う。
実際入社した人の多くが「ケース対策をしなかった」とか
「ケース問題にうまく答えられなかった」とこぼすそう。

そしてそのリーダーシップとは
1、全ての人が日常的に使えるスキルであること。
2,訓練を積めば誰でも学べるスキルであること。
だという。つまりリーダーと言えば想像されるようなスティーブ・ジョブズとか
オバマとか、そういうカリスマ的なリーダーである必要はないということ。

印象的だったのは以下の様な例。

例えばマンションの管理組合の会合がありお菓子が持ち寄りだったとする。
会合の後テーブルの上にはお菓子が残っている。貸会議室であるためお菓子は全て持ち帰らなくてはいけない。
かと言って人数分残っているわけでなないし、みんなもそれほど欲しがっているわけではない。
そういった状況で「このお菓子持ち帰りませんか?お子さんいる方良かったらどうぞ」と言い出せる人がリーダー。


え、そんなこと?と思ったけど、リーダーシップとはそういう日常些細なものを通して培われていくのだということ。

たしかに日本では”リーダーシップ”とか言うと我が強い人と見られてしまって
口にするのが恥ずかしい類のものだなと自分でも感じる。
だから進んでリーダーシップをとろう!という人が他国に比べて少ないといわれるのだろうし
それ故にリーダーにかける負担というのが大きくなるんだと思う。
自分も振り返ってみると心当たりがあるけれど
度々変わる首相にしても、おそらく全ての問題をスムーズに解決してくれる
完璧なリーダーがいつか現れるのでないかと心の底で願っているんじゃないか。
それが自分がそのリーダーを支えよう、とか自分から足元の問題を解決しよう、
という気概に先立ってしまっているんじゃないかなと思う。

インターネットやSNSを通して簡単に人がつながる時代になった今、
中央集権的なシステムよりもどんどん周りに権利を移譲していくスタイルが一般化してくるのでないか。
そうなると、各個個人や組織が主体性・リーダーシップを持っていくことが必要とされるようになる。
一人のカリスマリーダーが国や大きな組織を引っ張っていくのでなく
多くの庶民的?リーダーがもうすこし小さい単位でリーダーシップをとっていくことが必要。
このことを筆者は「リーダーシップ・キャパシティ」つまり「日本全体のリーダーの総量」
という言葉で表現している。
日本に欠けているのは、日本のあらゆる分野で働く、名もないリーダーの”総量”だと。

またさらに、今どこの企業も「グローバル人材」の必要性を叫んでいるけれど
本当に必要なのは「グローバルリーダー」であるとも。
今で言えば家電業界など、優秀な人が無数に働いているのに成功しないのは
「グローバル人材」がいないからでなく、「優秀なリーダー」がいないからではないか。
「外国語が話せ、日本での事業オペレーションを粛々と海外で出来る人」ではなく
「外国語が話せ、日本での事業オペレーションを海外でも回していけるリーダー」
の方が必要でないかということ。


たしかに最近はどこの企業説明会やセミナーに行っても「グローバル人材が必要」
と口をそろえてどこも言ってて、グローバル人材てなんやねん
て思ってたのだけれど、自分の目指すべき方向性について、ヒントが得られてきた気がした。

ちなみに本の中で京大生が軽くディスられてたんだけど少し納得してしまった。笑
学力は同程度でも、東大早慶の学生に比べ英語とリーダーシップがかなり欠けていると。
原因はリアルの世界との交わりが少ないこと。
京大生は学生との関わりのみに終始し内弁慶になってしまっている人が多いと。
確かに何度も東京へ足を運びそこの学生とも話をしているけれど
外の世界とかに目を向けたり、関わっていたりする人の比率が高いと肌でも感じる。
京都は地理的に少し隔絶されてて、情報が入ってきにくいというのもあると思うのだけれど、
それを抜きにしても、例えば近くの同志社や立命館の学生と比べても
もっとリアルな世界と関わったり、面白いことしてる人の数は少ないなと感じます。
少し内なるプライドが高くて、外と関わろうとする人が多いのかもしれません。
英語に関しても、京大は特殊な試験のスタイルから、英語が0点でも
数学満点なら受かるシステムになってるから英語は中学以降全くって人もいる。
話せる人は全然いない。満足に日常会話出来る人は10%でもいるんだろうか。
京都大学という大学も、京都という土地もすごく好きです。
一芸に秀でてる人、面白い人、優秀な人は沢山いる。
英語ができるから何だ、外と関わってるから何だ、というのは全うな意見だし
別にそれらができてるからって大したことはないのでしょう。
ただその"大したことない"ことが、本来もっと輝ける人の障害になってるとしたら
それは勿体無いことだと思うのです。

少し話がそれてしまいました。
マッキンゼーに興味がある人でなくとも、
これから日本でどんな人が必要なのかとかに興味のある方は一読の価値ありかと思います。


おわり



採用基準採用基準
(2013/01/28)
伊賀 泰代

商品詳細を見る
このエントリーをはてなブックマークに追加
10:01 | 書評 | comments (3) | trackbacks (0) | edit | page top↑
ブログパーツ