Thu.

香港に行ってきた

1507385_586877704699017_1613352193_o.jpg
Victoria Peakの頂上より香港を一望

あけましておめでとうございます。

ちょっと時間が経ってしまいましたが、先日香港に行って参りました。
その時のことをば。

- 香港に関して思ったこと
香港に行って思ったのは、「ここなら働ける!」ということ。
ご飯も美味しいし、天気も悪くない(ずっと暑いわけでもない)、英語も基本的には通じる(タクシーは通じないこと多いけど)。日本だって近いし、何と言っても税金が安い。日本では所得税が45%程度までいってしまうのに対し、香港は15%程度。コチラによれば年収1000万円だと手取りで200万円の差が出るそうで。ヒョ− 中国本土の富豪がこぞって香港に移住してるみたいです。そうやって金がないと中々VISAがとれないらしい。
税金なんて余り考えたことも無かったけど、この前自分の人生ってどの程度金が入ってきて出て行くんだろうとエクセルでカタカタシミュレーションしてて、いやはや税金てバカにならんなと思う今日この頃。

一方で日本みたいに健康保険や雇用保険が整っているわけではないし、リストラのリスクもある。加えて家賃がめっさ高いそうで。香港の大学生の友達はみんな一人暮らしできる余裕はなく、実家から通ってた。
いやしかし。東京並、もしくはそれ以上に高層ビルが立ち並び、今なおそれが増えている香港は成長の息吹をぷんぷん感じ、いや一度はこの環境で働いてみたいなぁ、とぼんやりと思いました。コチラによれば1.3億円くらいの投資をすればビザはとれるみたい。うむ、がんばれ将来の自分。


- 大学生活でもっとも影響を受けた友人との再会
僕には大学生活の中で、自分の生き方に関して最も影響を受けた友人が2人います。
そのうちの1人と、香港にて再会しました。
彼女は中国で生まれ、北米の大学に通い、現在は香港にある外資系企業にて働いている中国人。何といっても、エネルギーがすごい。高校までは中国で過ごし、学部ではカナダの大学。彼女は学部時代、京都で1年交換留学し、カナダの政府で1年間インターン(フルタイム)をしていた。日本との大学制度からの違いから単位の互換も難しく、また政府でのインターンは3ヶ月やっただけでもほとんどの人が1年間留年するという中、通常の人の1.5倍くらいの授業をとって留年せず正規の4年間で卒業。彼女の行っていた大学ではただでさえ成績評価が厳しく、平均GPAが1.9(4が最高)と言われる環境で、GPAは3.8という高成績で卒業。その後アメリカの、経済学では世界トップとも言われる大学院に合格をもらいながらも、本当の意味で学びを得たいと、少しマイナーな小さい大学へ(そこも業界内では名高い)。毎日3時間睡眠で滅茶苦茶勉強し、今は縁があって香港にやってきたそう。

自分も1年半日本を離れ、その間単位をほぼとれなかったけれど就活もなんとかして4年で卒業するわけで、結構intenseに走ったなぁと思ったりするけど彼女と話をしているとまだまだだ頑張れるなと、気が引き締まる。彼女は本当に、自由に飛び回ってやりたいことをやっている。Impossibleというのとreally hard/nobody didというのは違う、とやりたいことをぐいぐいやっている。
彼女の家庭が金銭的に恵まれているというのは事実。くっそ高いUSの学費をサポートしてくれることも。けれど、そこからどうするかは自分次第。金銭的に恵まれた家庭に生まれたのも運命。彼女は明らかに自分で道を切り開いていってる。
「それが将来的には最短の経路には見えなくたって、今本当にやりたかったらやるべき。それをやることで飢えることは基本ないだろうし、その分後で必死で頑張ったらいいんだ」と。

個人的な話をすれば、例えば自分は(駐在員というよりは)現地採用でヨーロッパで働きたいという漠然とした思いがある。海外に出てみて日本の大学の学位(特にbachelor)だけでも通用しないなとひしひしと感じていて、だからこそMBAといったglobally approvedな資格が欲しいと思ってるけれど、最近はVISAとるのもきつそうだし,, と思ってなんとなく弱気になっていた節がある。それでもしがみついて必死にやれば道は開ける、道が険しくなってもその分必死で頑張ったらいい。そんなことを自然と思えた1日だった。

彼女ともう一度会えて話が出来ただけでも、香港に行ってよかった。
頻繁に会えるわけではないし、これからは数年に一度、それも数時間ずつとかかもしれない。けれども、自分の人生に大きな影響を及ぼしてくれている大切な友人の1人。
人生の豊かさってのは、こう影響を受け尊敬できる友人にどれだけ出会って話を出来るかなんじゃないかなと思う。



......

そんな感じで!
今年はいよいよ社会人になるけれど、引き続きこのブログは続けたいなと思っています。
サイトリニューアルしたいと思ってるのでアドレスは変わる可能性はあるのですが。

今年もいろいろ逆風もあるかもしれませんが、頑張ってこうと思います
どうぞよろしくお願いします。

P1530008.jpg
このエントリーをはてなブックマークに追加
19:45 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Thu.

3度の留学、1年半の海外生活を経て今思うこと。

P1440905.jpg


どうも、久しぶりの更新です。
最近はウィーン大学での留学のラストパートで、積極的に友達誘って遊んだり、世界の色々なとこから友達が来てくれたり、farewell party開いて60人くらいホストしたりでばたばたしてました。

まぁそんなこんなでウィーンでの4ヶ月間が終わって日本に戻って来ました。
鉄は熱いうちに打てってことで、さくっとウィーンでの留学生活を振り返ってみようと思います。去年の2月から約1年半海外をふらふらしてて、ちょくちょく日本に帰ってきてはいたものの日本に落ち着くのは1年半ぶり。ってことで去年からのことも振り返りつつ書いていけたらと思います。

そもそもの目標
一応ウィーンに行く前に、留学の目標というものを立ててました。ウィーンでは主に3つ。1)旅すること。せっかく国と国が繋がってるヨーロッパに行くのだから、めちゃ旅してやろうと思った。2)そうして経験したことを発信すること。今してるみたいに、blog書いたりってことですね。3)ドイツ語。幼少期に2年間ドイツに住んでいて話せていたのだけれど、それからノータッチで話せなくて勿体無いなと思ってたので、ドイツ語をもっかい勉強しようと。勿論沢山友達出来たらいいなとかは思ってましたけど。メインはその3つでした。

で、どうだったか。
項目に分けて振り返ってみる。

1, 旅
すごくした。うんめっちゃした。目標達成。ウィーンに来る前にちょっとドイツにいて旅行していたのも入れると18カ国ほど。自己満なのを重々承知して書いてみると、ドイツ・オーストリア・ハンガリー・チェコ・クロアチア・ボスニア・スロバキア・ルーマニア・ポーランド・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・イギリス・アイルランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・ロシア。ちなみにお気に入りはエストニアとボスニア。理由はまたそのうち。基本的に授業が火木だけだったので金曜から月曜は基本旅行してました。結局ウィーンでの4ヶ月(実際には3ヶ月半)の中で半分もウィーンにおらず、ドイツ語の語学学校のクラスメイトには最終日に「えっ大学生だったの?」と言われる始末。
いつも旅をしてて良いなあと思うことが2つある。一つは友人に再会したり、旅先で新しい人と知り合ったり、出会いに溢れていること。やっぱ人と話して色々な経験を共有したり議論する時が一番楽しい。もう一つはその地の概観をつかめること。勿論数日いたくらいでその国の何が分かるんだ、というのはその通りなわけで。特に僕は1つの国とか場所に2−3日しか無いのでまさにそうなんだけど、やはり人づたいに聞いたり本で読んだりした2次情報と、自分で実際に足を運んでみて得られる一次情報は違う。かなり違う。 街の景色は勿論のこと、交通システム、住んでる人種、匂いや雰囲気。なんてことない情景の一つが心に残っていて、そこからその国に対してのイメージが出来て行ったりする。街を歩いていて街自体やそこに生きる人々を見るのは非常に興味深くて、それは実際に自分で足を運んでみたない触れることのできないリアルだと思う。面白いのはやっぱり隣の国でも違っていること。主観的であることを恐れず例を挙げてみると、例えばデンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドというのは北欧として一つにされることが多いけれどフィンランドだけは言語が全然違って、他の3カ国の人からするとちょっとよそ者の様な扱いになっていること。フィンランドはルーツ的にはむしろエストニアの方が近い。今はノルウェーの方が豊かであるが、スウェーデンには元々スウェーデンの一部であったノルウェーを見下している人もいること。ハンガリーとルーマニアはトランシルヴァニア地方と言う地(今はルーマニア領)を取り合っていること。そしてトランシルヴァニア地方としては独自に独立したがっていること。ハンガリーとポーランドは非常に仲が良いこと。逆にポーランドとスロバキア、リトアニア等は衝突があること。エストニア・ラトビア・リトアニアはバルト三国としてまとめられることは多いけれどどこも言語は違ってて、エストニアはその中でも豊かなこともあり自身をむしろ北欧の一部と定義したがったりしていること。勝手にイギリス人の若者は気品があるものと思っていたけどむしろ騒がしいおてんば娘の様な子達が多いこと(批判してるわけでなく)。バルカン半島のボスニア・クロアチア・セルビア・マケドニアといった国は文字は違うことがあってもほとんど同じで、お互いに理解できる言語であること。などなど。
初めに断ったようにこれは僕の主観の域を出ないし、知ってるからなんだということなのだけど、自分としては頭の中の白地図が埋まってきて世界が繋がっていることを実感し、その地のリアルを感じその白地図に色がついていく感覚が心地良い。特に僕は基本的にその地にいる友達に頼りまくるというぬるま湯スタイルなので(ゆとり世代なもんで)、その友人を質問責めにして、その地のローカルがどういうことを良い/悪いと思っていて問題意識を持っているか等を追おうとするのでよりvividに見えてくる。また僕は厚かましいのでホステルが一緒で1時間話した、飛行機で隣だった、友達の友達とか、そういうのお構いなしに連絡とってお世話になりまくる。そして実際に訪ねて行くと、本当に皆良くしてくれる。宿代が浮くということだけでなくて(それは結構どうでも良い)、その地の本当に良いもの(食事/景観)に触れることができ、そして何よりも先の様にローカルの人々の思考に触れる事ができる。例えばエストニアがお気に入りの国であるのは、街自体が綺麗だったというのもあるけれど、それより案内してくれたエストニア人の子がエストニアの歴史を色々と話してくれて、例えば実際に自分のおじいさんはシベリアに送られて帰ってくることは無かった(エストニアはソ連に支配されていた)とか、ソ連支配下時代には普通の本を1冊買う度にレーニンの本を買わなくては行けなかったという様なリアルな話を聞いて、それを耐えてきたエストニアの人々の強さを感じたから。(参考記事:エストニアに行ってきた) まぁ案内してくれた子が超美人だったのもあるのかもしれないけれど。(・・) あとこういう時、英語は出来た方が良いなと思う。日本人バックパッカーの人は結構いて、非常にはユニークな方々が多いので彼らと話しているだけでも楽しいし、宿が一緒になったガイジンと飲んでわーっとしてて楽しそうだなと思うのだけれど、英語が話せてもっと、人生の話とか議論が出来ると、より幅のある人生のサンプルに触れる事ができて、旅はもっともっと楽しくなると思う。
やや話がそれました。こうして旅(と事前の予習)を通して、その地の見識を深めるのは勿論なのだけど、それよりも旅の効用として挙げたいのは、一度訪れることで自分の中に、その国に関してアンテナの様なものが出来ること。予習なんて偉そうに書いたけど個人的にはギリギリになって大してしてないことがほとんど。けれど一度その地を訪れると、何か目のはしで目にしたことが気になって後で調べてみたり、本を読んでみたり、ニュースでその国が出てきたらすっと耳に入ってきたりする。あとヨーロッパ47カ国(数は定義にもよる)の位置を把握したり。 自分の目にしたミクロな知識とマクロな知識が混ざってく感じはやっぱり旅をしてこその感覚だと思う。この1年半で国際関係への興味が非常に高まってきた。院に行きたいと思うこともあるくらい。まぁまだ若干21歳で働いた経験も無いのでそれが将来どう繋がってくは未知数なのだけど、たまに外国人と話してて彼らの国に行ったこと、見たことを話すと気に入られて仲良くなってビールを奢ってもらえたりすることがある(特にあまり観光客が多くない地の人)ので現時点でもある程度ベネフィットはあるのかなと思う。



2, 発信
なんか書いてたら熱が入ってしまって一つ目の目標に対する評価が長くなってしまったのだけれど、目標の2つ目、発信すること。環境と機会に恵まれて色々な経験をさせてもらったのだから、少しでも発信しなくちゃなという思いから昨年2月から始めたBlog。ヨーロッパにいる間もちょくちょく書いてはいました。ある程度は出来たかなと思う。ただラリアにいた頃と比べると、旅ばかりしてたのもあり定期的に更新することは出来なかった。書きかけは割とあるのだけど。笑 やっぱなんかふっとインスピレーションが湧いた時にさくっと書かないとダメですねこういうのは。ウィーンにいた時に書きたかったことはちょこちょこあるので、またこれから思い出しつつ書いてきたいと思います。

あと必ずしもウィーンでの経験に関することではないけれど、世界に散らばってる京大生の視点や生き方をつなぐプラットフォームを立ち上げました。linKといいいます。基本的には海外に出ているor出た、ユニークな視点や生き方を持つ京大生を取材して記事にして公開しています。ただ自分としては単なるインタビューサイトで終わりたく無いと考えています。人が繋がっていく(linkしていく)プラットフォームになれば良いなと。読んですごいな、と終わらないで、本当に興味が出れば会ってみるとか(そのためになるべくコンタクトを載せています)。「日本の大学生は海外に出ない」という様なことが言われたりしていて、それはある程度真実なのかなとは思う。ただ2年半の京大生活で、色々な手段で海外に出てユニークな生き方をしているちょっと (良い意味で) ヘンな京大生を見てきた。学部・年齢に関わらず。例えばベルギーでの交換留学の間に1日で1000人の集客/100万円の利益を上げるイベントを開いた現役学部生や、理学部OBの方で官庁を経て現在国際機関のウィーン本部で働かれている方などなど。そういった方々と話をさせてもらう度に、自分の視点が広がっていくのを感じた。けど案外その生き方は知られてなかったり。僕の友人間のみでもそう感じた。だからそうしたユニークな京大生の生き方・視点をもっとシェアしてくことは価値を生むのでないかと。「そんな選択肢・生き方もあるのか」という新鮮な驚きは、全ての人でないとしても、誰かの新たな行動に結びつくと信じている。どの分野で何をしていくのかというのは人によって違うだろうけど、想いの部分は共有できるものがあるのでないか。実際に活動するフィールド・分野は人それぞれ全然違っても、多くの人が想いを共有して動いていけば、日本は、世界はもう少し良い方向に動いていく、かもねと。人間1人で出来ることは限られてますから。根本にあるのはそんな想いです。
ちなみに京大生にフォーカスしているのはやっぱり自分が京大が大好きだから。アプローチしたいのは京大に限らないんですが。でも大きなことをしたいと思ってもやはりベースは必要だと思うし、まずは足元の京都・京大から始めてみようと。より身近に一歩踏み出していることを知るのは焦り・モチベーションに繋がると思うし。あと最初に書いたように、読んで終わりでなくて、そこから人が繋がっていったら嬉しいなと。今の時代、SNSをたどれば共通の友人が沢山いたり共通点が色々とあったりするでしょうから。そういう意味でのlinKです。
京大、ということに関して言うと、正直自分自身留学したり、またCambridgeやHarvardといったtop-tireの大学の学生と話す中で、どうして高校から直接海外の大学へ、少なともトライしなかったのかと悔やんだことは数え切れないほど。けれど今はやっぱり京大に来てよかった、これで良かったと思っています。問題が無いとは言わない、むしろ沢山あると思いますけども。ただ最近の何が何でも海外の大学が良い、海外大生はすごい、というのは違うと思う。物事には良い面と悪い面がある。当然だけどアホな人はアホだし、先のtop-tireの大学の学生と比較しても自分が全てにおいて劣ってる、敵わないとは思わなかった(ただこいつはヤバ過ぎる、という人はちょくちょくいる)。自分がアプローチしたいのは日本、そして日本人ですから。そういう意味で、日本の初等・中等・高等教育を受けてきて、その良い面と悪い面を感じ、またその過程で多くの人を視てこれて良かったと思います。


3, ドイツ語
これに関しては、まだまだだなと思う。ホームステイをしていたこともあり、ドイツ語で話す機会は多かったけれど、話すのばかりで机の上での勉強にあまり時間を割けなかったので単語知らないし文法もたどたどしい。ただあっちで友達が沢山できて、彼らとドイツ語できちんと話せるようになりたいとは思うのでモチベはかなり上がった。後期は授業でもとろうかなと思っています。


あと思ったこと
友達作るのがうまくなった?
留学生の友達というのは日本にいた時もいたけれど、そういった日本が好きで来てる人たちと普通に外国人の人というのはちょっと違ったりする。日本にいる人の場合は好きで来てる人が多いから歩み寄りが簡単。それに比べると、一般の人だと、母国語でない言語でまず自分に興味を持ってもらうとこから始めなきゃいけないから大変だなと、特にオーストラリアに留学していた初めの頃思った。1年経て、色々な国/タイプの人に触れてきてそういうのに慣れてきた。対人感覚というのかなあ、語学力とはまたちょっと別にあるもの。日本人だし、アジア人だし、の様な感じであった引き気味な姿勢が無くなってきた気がする。
後はウィーンでは、オーストラリアにいた時によく感じていた、アジア人とヨーロッパ人の壁というのをあまり感じなかった。(参考記事:欧米人とアジア人の壁はあるか) オーストラリアにいた時はparty等開くとき、アジア人とヨーロッパ人の配分みたいなのをすごく気にしていたけれど、ウィーンではそれほど気にならなかった。自分のfarewell partyも、みんなごっちゃで60人くらい来てくれてわいわいしていた。勿論それぞれの人次第なんだろうけど、こっちの風土もあるのかなと思う。自分の中で、その壁を越えられた様な気がして、すごく嬉しかった。

英語もっと頑張らないと。
何度か書いたことがあるように、メルボルン・ウィーンと経て英語力には自信がついてきた。言いたいことは言えるし、英語が母国語でない人と話をする時は、基本的に自分の方ができるだろうという思い込みもついた。けれど、そう思ってもっと英語に触れる様になってから、自分が達したい思う英語力のレベルにはまだまだ努力が必要だと気づいた。 例えば(当然ではあるのだけど)一つのことを言うのにも言い方というのは何通りもある。こうして日本語でブログを書いてる時も、何通りもある書き方・単語のうちから伝わり方を考えて言葉を選んでいるわけで。たしかに言いたいことは言えるのだけど、自分の英語のボキャブラリーや言い方って中学生かそれ以下のレベルかもなと。ほんと情けないくらいボキャ貧だなと。自分の昔のfacebookへの投稿を見ていても恥ずかしくなることがよくある。ビジネス等であれば何とかなるかもしれないけれど、自分はこうやって書くことが好きで、英語でもちょくちょくブログ書きたいなあと思うのでボキャブラリーがもっと必要だなと。そう思ってから英語での記事や本を読んだり、何かを書くときによく英英辞書で類語を調べる様になった。まーとりま実践あるのみってことで英語版guysbe. もちょくちょく更新していく予定なのでどうぞよろしくお願いします。
結局自分が英語で何をしたいかなのだと思う。ただ文書を読みたいだけだったら話す能力は全くいらないかもしれないし、話したいだけだったら書く能力はそんなにいらないかもしれない。言語学習は大きなコストであることは確かなのだから、やみくもに「英語やんなきゃ!」と焦るのでなくて、そもそもどうして英語が必要なのか、英語で何をしたいのかを自分の中で明確化することが大切なんじゃないかなと思う。


パブリックセクターへの興味
もともとビジネスに興味があって、そうしたことに関連した活動をしたり、留学先ではビジネスの学部に入って勉強していたので、自分は当然の様に民間企業に入ってやってくものだと思っていた。けれどこうして海外をふらふらしていた期間に官庁や国際機関の方とお話させて頂く機会があって、国家単位で、より公共的なな視点で世界を見ている彼らが、素直にかっこ良いと思った。必ずしもその名前からイメージする様な華やかな仕事では無いのだろうなとは思う。けれど同時に、そっちに行かないと見えない景色があるのだろうなと。また上にも少し書いたように旅を通して国際関係に興味が出てきたのも理由の一つ。まだこれからのキャリアをどうしていこうかというのははっきりとしていないけれど、官と民。織り交ぜてこれから道を歩んでいけないかなと考え中。


おわりに
久しぶりに書いていたら、何だか思いが溢れてきていつの間にかいつもの倍以上の6000字を越えてた。つらつらと書いているので読みにくくて申し訳ありません。そしてここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
1年半を経てのまた日本での生活、何だかまだ現実感がないけれど、こうして留学等の機会に恵まれて色々試行錯誤したことを忘れず、そして日常の中でも旅しているようなワクワク感を持ちながら過ごして行きたいと思います。とりま卒業までに日本国内大体周ってみたいなあ。チャリで。ちょうど海外の友人が沢山日本に留学来たりもするので、所属人種ごっちゃで100人くらいで富士山登ったら楽しそうだなーとか色々考え中。
何か面白そうなことあったら教えて下さいねー国内(あとアジアくらい)だったら基本どこでもかけつけますんで。


おーわり



宣伝
7/3、京大で今まで色々海外に出てきた経験に関して話をさせて頂きます。AIESEC京都大学委員会が主催している”海外フェア”というイベントで、色々な手段で海外に出た人が来てその経験を話すみたいです。僕みたいなふらふらしてる人と違って色々やってきた人が来て面白い話をしてくれると思うので是非。
facebookイベントページ : 海外フェア2013夏〜世界へ飛び出せ!〜
多分↑からリンク飛んだら詳細とか参加表明とか出来ると思うんですがもし興味あるけどうまくいかんって方がいましたらtwitter(@708_u)にリプ飛ばすとか←のメールフォームなんかから連絡ください。

このエントリーをはてなブックマークに追加
21:11 | タワゴト_海外 | comments (3) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sat.

英語が母国語じゃなくて良かった。

P1460066.jpg
London tower bridge, UK

「英語が母国語じゃなくて良かった」
なんてことをこの前イギリス人の友達と話しててふと思いました。

中学高校、そして大学に入ってからも英語の勉強に追われ(今も)、何度英語圏のネイティブとして生まれていたらと思ったことか。
英語の勉強は嫌いじゃなかったけど、莫大な時間と労力が必要なのは確か。そのコストに関しては今も懸念はあるけれど。

ウィーンに留学しているとヨーロッパの色々な所から人が集まってきていて、話してると「で、君は何語を話すの?」という話になる。とりま母国語と英語はデフォルトで、オーストリアはドイツ語圏なのでドイツ語を話す人も多い。結果として3ヶ国語や4ヶ国語話す人がごろごろいる。自分も日本語と英語と、あとドイツ語がまぁまぁだから3ヶ国語(実際は2.5くらい)と少し得意になってた時もあったけど、そういう人らと話してると、謙遜や嫌味で無く「3ヶ国語しか話せないよ」っていう返答になる。
で、そうした時にアメリカ、イギリス、ラリアなどの英語圏の人は「英語だけしか話せない」と肩身狭そう。ウィーンでも基本英語は通じるし、学生もみんな英語話すから生活するのに困ることはないんだろうけど、なんか残念だなと思う。

言語と文化というのは少なからず結びついてると僕は考えていて、そういう意味で英語やドイツ語という異国の言語を学ぶ過程で日本語という言語、日本という国について外から客観的に見つめ、再考させられる機会があった。言語の構造というのもあるけれど、それよりも例えば言語を勉強しに外国に行ってみたり、外国人と話してみたり。その中で、単に日本にいた時より日本について考えたり、日本人としてのアイデンティティを強く感じることが多くあった。

ドイツ語はともかく、世界共通語になっている英語に関しては、非英語圏の人皆がその重要性を認識し勉強している。英語が出来た方が良い職につけたり、というかそもそも英語が出来ないと職を得るのが大変という国も少なからず聞くし、インセンティブがある。一方で、英語が母国語の人は英語で大体何とかなってしまうので英語以外の言語を学ぶインセンティブが生まれにくい。彼らのほとんどは高校や大学で外国語を一つは学んではいるけれど、まぁ大学での第2外国語のことを考えてみたら分かるように、たかが知れてるレベル。

なんでこんな英語に時間や労力かけなあかんねん!とその習得にかかるコストに憤慨することは数多くあった。まぁ今もたまに(てか結構)思う。けれど振り返ってみると、英語の必要性への認識が、海外に行ってみたり、国際的な活動してみたりと貴重な機会に飛び込むきっかけになってたのは事実。その過程で自分の中の世界がどんどん広がっていった。英語圏ネイティブに生まれてたら、そういうことも無かったもしくは少なかったかもしれない。そう思うと、英語が母国語じゃなくて良かったなと思うのです。


まあ上で書いたように言語の習得というのは本当にコストが大きくて、その点英語圏ネイティブって得してるよなーと思うけれど、豊かな人生を送るって観点から見れば損してるのかもねと思う。

それに、世界共通語としての英語というのを考えればその話者は非ネイティブが圧倒的多数。だから僕達日本人もグローバル・イングリッシュの母国語話者とみなすこともできる。グローバル・イングリッシュにおいては必ずしも完璧な英語(表現やボキャブラリー等)である必要は無いから、そう考えると上で挙げたコストというのは思ってる以上には大きくないのかもしれない。


だから、英語圏に生まれなかったことを悔やむより、その分見識豊かなバイリンガル、トリリンガルになる潜在性が高いんだなくらいに考えたら良いのでないかと思う今日この頃。



おーわり


このエントリーをはてなブックマークに追加
19:00 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Fri.

留学中の日本人との付き合い方。

Conversation


これって、結構留学行く人は一度は悩むトピックなんじゃないかなと思います。
僕も留学生活を通し、何度も考えました。
1年強の海外生活を通して、現時点で答えるとすれば
「好きにしたら良いと思う。けれど日本人と関わるのも悪くないよ」
となります。
悪くない、って言うとすごい上から目線な感じがしますが、そういうことでなくて、別に自分を特別責めなくちゃいけないことではないってこと。

僕もオーストラリアに留学してた初めの頃は、日本人を避けようとしてました。海外に来て、視野広げるために来てるんだから外国人と話すんだ、話さなきゃ、と。でも話してみると、海外に来ている日本人は面白い人が多い。やっぱり何かしらの強い思いを持って来ているし、自分の考えをや視点を持っている人が多い。勿論みんなとは言わないけれど、日本にいた時よりも格段に面白い人に出会える確率は高いし、その面白さの幅も広いことが多い。視野を広げようと思い「日本人だから」という理由だけで避けようとしていた自分は、逆に視野が狭かったなと思った。それってすごく勿体無いなと思った。そう思ってからは、日本人の人たちともっと自然体で接するようになった。文化や背景を多く共有している同じ国の人同士というのはやっぱり仲良くなるのが簡単。自分はどこまでいっても日本人なわけだし、活かせるものは活かすべきだなと僕は思った。

アフリカ・ブルキナファソにいた時は、現地のJICAにコンタクトをとって、そこからつないでもらった青年海外協力隊の方々と仲良くなり、現場に連れてってもらったり、普通に遊んだり、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。
オーストラリアにいた頃は色々なチャネルにいる日本人と仲良くなって、それをみんあごっちゃにしてパーティーを開いたり。後は日本人会のテニス部に行って日系企業の駐在員の方とダブルス組んでみたり。
この前はウィーンの日本人会の遠足に参加してきました。官庁の方、国際機関に出向してる方や大企業の海外支店長の方。またウィーンから日本へワインを輸出されてる方などが来られていて、日本だったら中々会う機会の無い様な方々と近くでお話する機会があった。肩書きがどうだから、というのを抜きにしてユニークな生き方をしている方が多く、人間として素敵な人ばかりで、人生や進路に対する考えに大いに刺激をもらいました。

こう振り返ってみて、海外生活を通し、現地で様々な面白い日本人の人達と出会い、つながりを持ってきた気がする。色々な人生のサンプルに触れるのは自分の視野を広げてくれる。
海外にいるとその地の日本人の数は圧倒的に少ないし、日本で初めて会う場合より仲良くなるのが早い。そこを捨ててしまうのは勿体無いと思う。


でもつながりを持つことと、ずっと一緒にいることはまた別だと思う。
今まで書いてきたこととやや矛盾する印象を与えてしまうかもしれないけれど、特に1年以内の留学等の海外生活であれば、いつも日本人の人と一緒にいるというのは、それはそれで勿体無いと思う。そうしてしまうと中々周りの人が近寄りがたくなってしまうということもある。
つながりを持ちつつ、適度な距離感を持つこと。
学生の間の海外経験であれば、これが良いんでないかなと現地点では思ってる。


以前に、高校からアメリカの高校に編入し、そこからアメリカの大学に進学した日本人の子と話してたことがあります。その子は、高校時代、日本人との関わりを一切断ったと言っていた。英語力の向上のためというのもあるけれど、日本人で固まってるという印象を与えるとアメリカ人の友達が中々出来にくいからとのこと。だから同じ留学してる日本人は避けていたし、一度日本人の家庭に招待された時も、本当はすごく行きたくても、行かなかった。一度行ってしまうとそこに自分が甘えてしまう気がして。結果現地の友達が沢山出来、充実した高校生活を送れたと言う。その後大学に進み、彼女は逞しく生きている。
自分は前述の通り、日本人との関わりを断つことでのコストとリターンを比較し、つながりを保つと言う選択をしたけれど、こうも徹底していた彼女を本当にすごいと思うし、こうしたスタイルもありだなと思う。
まあ要は目的次第なんですね。

そう意味で、「好きにしたら良いと思う。けれど日本人と関わるのも悪くないよ」
と、現在日本食ブームに盛り上がるロシアにてえせ寿司を食べながら。
あぁ..本物の寿司とか牛丼肉じゃがとか食べたい。

このエントリーをはてなブックマークに追加
19:06 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sat.

大学に行く意味はあるのか?

Kyoto University


「大学に行く意味はあるのか?」
これは京都にいた頃からぼんやりと、ずっと考えてたテーマです。

先に書いときますが、文章の中で欧米の大学との比較が出てきますが、別にそれと比べて日本はダメだ!ということが今回は言いたいんじゃないんです。国内外問わず「大学」というものの存在について考えてみるにあたって参照しているだけです。「海外では〜」といい出した途端拒否反応を示す人もいるかなと思うので一応。あと大学というもの一般について考えてる一方で多くの例が自分の個人的な大学生活というspecificな経験に依拠してしまっている点はどうぞご了承を。

前置きが長くなりました。
さてどうして大学に通うのか。大学に行く意義ってなんだろう。


高校では考えもしなかったこと。
高校まではそんなことを考えたことも無かった。
当たり前の様に授業を受けて、宿題やって、勉強してた。
「これ勉強して何の意味があるんだよ。使わないじゃん」と宿敵だったベクトルさんに文句を垂れることはあっても、勉強に部活に委員会に課外活動に忙しかったし、高校という組織に所属すること自体を疑ったことは無かったと思う。

ところが大学に入ってみると、なんだこれ、ってなる。
授業に行かなくても誰も文句言わないし、みんなやってることはバラバラ。僕が行ってる京大でも大学行ってるよりバイトしてる時間のが長いって人がごろごろいるし、麻雀に明け暮れ、むしろ職業雀士なんじゃないの?みたいな人も。別に批判してる訳では全くなく、素直に面白いなあと思った。

これらが可能なのは、卒業するのがそんなに難しく無いから。
勿論大学にも専門にもよるし、日本の大学に通ってる友人でも必死で勉強してる人もいるのでみんながそうとは言いません。ただ欧米の大学の人と比べると、平均的に格段に単位をとるのも卒業するのも簡単。「だから日本はダメなんだ..」と言う様なことが言いたい訳では全くありません。

大して勉強に打ち込まなくても卒業できちゃう大学に4年間いて、卒業すると「大学卒」という一応の肩書きがもらえるし、いわゆる「良い会社」に入ろうと思ったら大学はまず出てないと難しいでしょう。でもそういう表面的なものでなく、本質的には何が得られるんだろうか。パッと思いつくのは、何か自分の専門分野の勉強をして得た知識、授業やサークル等課外活動を通して得た友人。とかかなぁ。
とりあえずその2つについて考えてみる。


「授業を生で受けられる権利」にどれほどの価値があるのか。
一つ目、勉強から得られる知識。
教養科目というのもあるので専門分野に限らないんだけど、基本的には大学生は授業に行ってそれに基づいて勉強しますね。大学生であれば、その大学の授業を受ける権利があります。そう考えるとひとまず大学に入ることで得られる権利はある。様に見える。けど3年間大学生やってて思ったのは、授業に関して言えば大抵の授業が別にその大学の生徒でなくとも潜りこめそうってこと。少なくとも京大ではそうだった。ある一定数(50人くらい?)以上であれば教授は生徒一人ひとりを認識することはまず無いし、もし認識したとしても、大抵の生徒が授業に大して無関心である中非常に興味関心を持って授業を受けている人がいれば、その人がたとえ学外の人であろうと教授はむしろ歓迎するんじゃないかとさえ思った(実感ベースですが)。そう考えるとさっき書いた権利は霞んでくる。
また、大学内で自分が「この人頭良いな」とか「知識すごいな」と感じた人が皆口を揃えて言うのは「基本は独学」ということ。こういう人は授業真剣に受けてたんだろうなあと思っていたけれど、案外そうでもなかったり。そんなことを言われるとさっきの権利がますます霞んで見えてきてしまう。
加えて、今はインターネットを通して他の大学の講義がタダで視聴できたりする。iTunesUCourseraなど。それもトップの大学の有名教授の授業が見れる。日本だと有名どころはハーバードのマイケル・サンデル教授でしょうか。実際にアメリカの大学に行ってるアメリカ人の友人が「化学と数学はスタンフォードの授業をオンラインで見て勉強してる。そっちのが分かりやすいし」と言ってて驚いた記憶がある。彼が行ってた大学もミシガン大学と言ってランキング的に良い大学の一つだったのですが。
そう考えると「その大学の授業を生で受けれる権利」というのは果たしてどれほどの価値があるのかと疑問に思えてきます。


友人を作るのに、「大学生であること」は必要か。
2つ目、友人。
大学で様々な人に出会い、友人が出来ました。出会ったのは授業、サークル、イベント等々。大学絡みで友人になることが多く、そういう意味では大学に在籍する意味があるように思える。けれどその出会うきっかけになった主なものを考えてみると、例えば授業に関してはさっき書いたように、潜り込むことも可能だから学外の人であってもそこで友人が出来ないわけじゃない。サークルに関しても、他大でも入れるインカレサークルは沢山あるし、究極学外のぱんぴーでも入れちゃうんじゃないのって印象。勿論サークルによるでしょうが。イベントに関しては、大学生じゃなくとも参加できるものも多くあるのでこれもクリアー。つまり大学生であることは、大学生活の中で素晴らしい人たちに出会うための大きな要因の一つだったけれど、必ずしも絶対条件では無かったかもなということ。


ここまでが京都にいた時からぼんやりと思ってたことです。

んじゃ海外ではどうなんか。
んでもって、留学に来て、んじゃ海外の大学生はどう思ってんだろうって気になった。
行く前は、彼らはめちゃ勉強してるって聞いてたから、それなら本質的に大学に行って学ぶ意味あるんだろうなって思ってた。確かに彼らは勉強している。おそらく50カ国以上の国の大学生とは話してきたけど、中国韓国の大学は日本の大学と似た傾向があったりする以外、日本の大学生ほど勉強してないって人は聞いたことがない。けどそんな彼らも紐解いてみると、勉強するのは良い成績をとって良い会社に入るためだったり、学士や修士といった肩書きを得るためだったり。「大学で学んだことは社会に出ても大して役に立たない」と、日本の学生と同じ様な愚痴をこぼしてる人も多くて面白いなと思った。ビジネスの様な実用的に(見える)ものを学んでいる人も似たようなことを言ってる人は案外多くて、興味深かった。

表面的価値にとらわれる欧米の学生たち
つまり彼らも、大学で学べる内容それ自体よりも、それに付随する表面的なものにとらわれてるってこと。特に欧米では基本的にマスター(大学院)は行くのが主流だけど、よくよく聞いてみると、大学院で学べること自体が大事なのでなく、まぁ流れとしてみんな行くから行くっしょってのと、修士は持ってないとジョブマーケットで相手にされないから。「こんなことが学べて、それは自分にとってこういう価値があるから大学院に行くんだ」というはっきりした動機を持ってる人はあんまし聞いたことがない。むしろ院に行くことがジョブマーケットでの自分の市場価値を低下させるリスクをはらんでる日本での大学生のほうがその辺のことはよっぽど考えてる。

あと大学を通して出会う友人ということに関しては、日本ではどこの大学でもあるサークルなんてのは基本的に存在しないし、日本の場合と同じく授業でも潜り込めるものも多い。少なくとも自分の留学したオーストラリアと留学中のオーストリアではそう。あとまあよく言われる様に欧米人は個人主義が強い傾向があるから大学の仲良しグループみたいなものもそんなあるわけでなく(実感ベース)、まぁみんな自由に好きなことをしてる。大学生である期間に出会う友人との出会いのきっかけに「大学生であること」が必要不可欠な要因である確率は日本より格段に低いんじゃないかと思う。


そうすると、僕がはじめに大学へ行く意味・意義として仮に挙げた「勉強」「友人」
ってのは、国内外問わず本質的な意義になりうるのだろうかと大いに疑問に思えてくる。


理論と現実の違い。あと人間ってそんなに強くないから。
一応の結論。飛びます。
つらつらと書いてきましたが結局、学費と3-4年の時間という対価を払って大学に通う意味はあるのではと現時点では思ってます。こっちにいるヨーロッパ人の学生とも議論しても思いましたが、確かに大学に通わずとも授業を受けて学んで、友人作って、というのは理論上可能ですが、あまり現実的じゃないと思う。少なくとも大学というものが「学び」や「友人」を得る確率を飛躍的に上昇させてくれているのは事実。「学び」ってことに関して言えば、人間ってそんなに強くないからだと思うんです。この前MIT行ってる人もそんなことを言ってました。オンラインの授業利用して、独学でってのは可能だしこれから発展していくとは思うけれど、やっぱり授業に行って、そこで友人と話して、といったものが学ぶインセンティブを作り出しているのは事実。自分を律して独りで成長していける人ってきっとそんなに多くないから。
大学生であることが友人を作ることに寄与しているってことに関しては、これは普段気づかないながらも色々と恩恵を受けていることがあると思う。アフリカでインターンしていた時に「学生」としてでなく「インターン生」として現地で暮らしていた時の状況と、今こうして「学生」として留学に来ている状況を比較しても、それはしみじみと感じます。
あと大学へ行くことが与える表面的な意味、肩書きってことに関してはやや批判的に書いたけれど、まぁスムーズに社会を回してくにあたってある程度肩書きでカテゴライズできた方がシステムとしてラクだし、ある程度仕方のない事ことなのかなと思う。というか自分がゴタゴタ言った所で簡単に社会のシステムが変わるわけではないし。


なんだか考えがあっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じで、また主張の根拠のソースがしっかりしてるわけでなく多くが実感ベースとなってしまってます。
まあアカデミックな文章を書いてるわけではないし、そのへんはタワゴトってことでご愛嬌。ということで。唯一の答えってのは無いと思うし、ぜひぜひ意見ありましたら直接でも、コメントでも聞かせてください。


というタワゴトを言ってないでお前締め切り間近のレポートをやれって話なのです。チームメイトの温厚なケビンもちょっと怒ってます。はいぃ頑張りますごめんなさい。まぁでもドイツ人だからきっとビールあげといたら大丈夫(適当



おーわり


このエントリーをはてなブックマークに追加
17:26 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

突き詰めると国際交流って難しいよなあ。

4931710962_1ff2b87c4a.jpg

大学入ってから海外を旅して現地の人と触れ合ったり、留学生と一緒にどっかに遊びに行ったりして、俗に言う「国際交流」ということはしてきた。
それらのことは楽しかったし、今も好き。
ということで「国際交流いいよ〜楽しいよ〜」という立場をとってきた。

けれど、今こうして留学していて、改めて考えてみると「国際交流」って難しいよなあと思う。国際交流をすること自体が難しいと言うより母国の人と交流するのと同じレベルの幅・深みのあるコミュニケーションをそこで実現できるのかってこと。

別に日本語話せたって日本国民全員と仲良くなれるわけではないのと同じように、英語が堪能になれば自動的に英語を話す外国人と仲良くなれるわけじゃない。そもそも話す内容(コンテンツ)が無ければ何も意味がないし、相槌の打ち方や場に応じた言葉使い等細かい部分もコミュニケーションを構成する要素の一部。日本語なんか特に語尾の一文字とか助詞ひとつ変えるだけでも印象変わったりするじゃないですか。それと一緒で英語でも、ドイツ語でも「言いたいことを正しく伝える」の更に上の細かい部分がある。そしてそういった部分は、言語の勉強をして身につく流暢さとはまた別なのだと思う。それはその国特有の文化だったり、暗黙の了解と言うか、こういう場ではこれを言うべきでこの単語は避けたほうが良いとかそういうもの。本当に場違いな発言、という事でなくともちょっと違和感を感じる様な言葉遣いって結構あると思うし、それが人の印象やコミュニケーション自体を形作っていってる。

同じ国で生まれ育ち同じ言語を話す人であれば、こういった背景は無意識のうちに共有されているため、あえて口にしなくても伝わることは多い。日本語は特にその傾向が強いのかもしれないけれど、他の言語でも、その国の文化(伝統文化と言うより今を生きる人々の背後に流れてる文化、というか傾向?)や(ちょっと大げさかもしれないけど)歴史背景を踏まえた話題の振り方、言葉遣い、テンポというのはあると思う。自分の母国語でない共通語(大抵は英語)を通して外国人とコミュニケーションを取るとき、お互いにその言語に流暢であっても、先に挙げた細かい部分を共有できてない故にある程度妥協してるとこってあるんじゃないかなぁと。

留学中の人を見てて、日本人やアジア人に比べ欧米人はよりオープンに、様々な国の人とコミュニケーションをとってるなと初めは思っていたけれど、よくよく見てみると、確かに国を越えてわいわいしてる様に見えても、彼らの中のコアな仲良しメンバーというのはやっぱり自身の国ないし言語/文化が近い近隣国の人であることが多い。と僕は感じた。ドイツ人はドイツ人やオーストリア人、スカンディナヴィア人(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー等)は彼らで、アメリカ人はアメリカ人やカナダ、オーストラリア人といった具合に。

大学入った当初英語が全然は話せなかった時は、英語がもっと話しさえすれば仲良くなれると盲目的に思ってた。確かにそれは間違ってなくて、英語を話す能力が上がるにつれ話せる話題の幅や深みが増し、より深い仲になれる人が増えてきた。でも言語/文化を共有していればより簡単であることも確か。

そういう意味で、国際交流だったり、あと例えばヨーロッパはEUという共同体を構成しintegrationを進めているけどそれって思ってる以上に難しいよなと思ったり。それって本当に必要あるの?とも思えてくる。

別に国際交流(をどう定義するかにもよるけど)のハードルを上げたいわけではありません。そこの境地に達しないとその言語の話者と仲良くなれないわけじゃないということはオーストラリアへの留学で体感した。互いに英語が母国語じゃなくても、日本人の仲の良い友人と遜色なく本当に何でも話せる、親友と呼べる友人が出来た。

また別に自分も国際交流大変だから嫌ってことは全然無くて、まぁそういう一面もあるのかなという程度。国際交流が案外難しいという実感は日本人である僕だけでなく欧米人もあるのだなと思うことがあったので書いてみた。まあ自分の英語やドイツ語がまだまだ未熟なのと、ちょっと細かい部分にsensitiveすぎるだけなのかもしれないですけどね。


おーわり




このエントリーをはてなブックマークに追加
19:00 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sun.

鉛筆な日本人、ペンな欧米人

The LEAD stuff from pencil case


ヨーロッパで学んでると、大学生は当然のこと、こちらでは授業中や、何かを書くのに皆ペン(ボールペンなど)を使ってることに気づく。アメリカも多分そうなんじゃないかな。
ドイツのローカルの小学校に1年通ってたことがあるけれど、その時も振り返ってみると基本的にノートは青いペンでとってた記憶がある。

一方日本において、大学に入ってからはボールペンを使うことが多いけれど、自分の高校までの生活を振り返ってみると、基本的に授業のノートをとるのは消しゴムで修正可能な鉛筆もしくはシャープペンシルを使っていたと思う。

だから何、ということなのだけれど、こういった細かいことも、もしかしたら日本の国民性に影響してるのかもなあと思ったり。

鉛筆やシャープペンシルは、間違っても後で消しゴムで消すことが出来る。
自分のミスを無かったことにできる。
一方ペンの場合は、もちろん修正はできるけれど完全に消すことは出来ない。
自分のミスの痕跡は残る。痕跡を残した上での修正になる。

これが例えば発言ということになると、人前で発言する場合、基本的に形ある痕跡としては残らないけれどその場の人の記憶には残る(忘れられることも多いだろうけど)。何かミスを犯しても、それを完全に無かったことにするということは出来ない。ミスを無かったことにできる鉛筆に慣れてきた日本人はここでためらう。一方、ミスを認めた上で修正することになるペンに慣れてきた欧米人はどんどん発言し、間違いを犯したらそこから学び修正する。(もちろん間違いを犯すことに全く抵抗が無いわけではないだろうけど)
かなり暴論になってしまったけれど、ここにある一定の真理は含まれているんじゃないかと思う。

逆に、”自分”という痕跡を消せるネット上(2ちゃんねる、twitter等)では日本人は元気。人前では一言発するのにもためらう人々も、声を大にして不満・批判をぶちまける。
自分があまり知らないからかもしれないけれど、外国で2ちゃんねるの様なものが流行ってるというのは聞いたことが無い(知ってたら教えて下さい)。twitterに関しても、今まで色々な国の人に会ってきたけれど、アカウントすら持ってない人が多かった様に思う。
あまり明確な根拠じゃないけれど、実際に去年の年越しの時、年越しの瞬間のツイートは世界の主要都市での年越しの時間のツイートに比べ、日本が一番多かったらしい。
まぁtwitterに関しては同じ140語において英語に比べ多くの情報を盛り込むことができるという日本語の特性も少なからずあると思うので国民性が..ということだけでは言えないと思いますが。


話がそれてしまった。
だからみんなペンを使おう!ということでは全くなくふと思ったので。
完璧主義とかシャイな国民性があって鉛筆を使ってるというより、幼少期にずっとそういうツールを使ってきたことが結果として完璧主義とかシャイな国民性に繋がってることもあるのかもね、と。

twitterや2ちゃんねるを見てると、本当に日本人てユーモアのセンスが高いなあとかうまいこと言うなあと感心させられる。
けどやっぱ生身での発言力無いと埋没するよなーと思う今日このごろ。
「あいつ裏とかネットでは元気だけど、実際会うとそんなにだよな」
ってのは一番言われたくない。


おまけ:
twitterのこと少し調べてたら見つけてクスっとしてしまったツイート。
"かつて日本では17文字という制限の中でうまいこと言う遊びが流行し、今また140文字以下という制限の中でうまいこと言うのが流行っている。前者の魅力に取り憑かれた者は俳人と呼ば"れ、後者のそれは廃人と呼ばれた"


....
ということを鉛筆でノートに書きとどめてて非常に安らぎを感じた自分はやっぱ日本人だなと。

おーわり
このエントリーをはてなブックマークに追加
18:03 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

出会いと別れと.

082-Last Cold Farewell


日々生きていて、色々な人に出会う。
ホステルで一緒の部屋だった人、飛行機で隣になった人、授業で一緒になった人。
そうした人とご飯を食べ、飲み交わし、色々な話をする。
そうして「また会おう」と言って別れる。
そう言う時、少なくとも自分はお世辞で無く、本当にまた会いたいし、会えるだろうと思ってる。
日本は地理的にも孤立してるから向こうから来てくれることは中々無いけど、自分が彼らの国を訪れた時、皆すごく歓迎してくれるし、また話に花が咲く。

再会して、数日共に過ごしても、その後にはまた別れがある。
今は一度出会ったらすぐにfacebookのコンタクトを交換するから、別れた後もその人がどういう何をしているのかが分かるようになった。コメントやチャットを通してコミュニケーションをとれる。地理的には離れていても精神的には離れてない様な感覚に陥る。自分もfacebookはヘビーユーザーだし、こうして地理的に離れていてもつながれるということは素晴らしいことだとは思う。だから、実際に対面して会って別れる時もあまり実感が無い。ただやっぱり、少なくともしばらくはその人を目の前にして、会話を交わすことはない。れっきとして別れではある。寂しさがこみ上げてはくるけれど、また明日にでもインターネットを通せば、たとえ物理的には数年間会えなくても、数年間コミュニケーションをとれないわけじゃない。
facebook等のSNSに慣れてから、なんだかさよならを言うのが下手になった気がする。

そうしたツールによるバーチャルなコミュニケーションを軽視する気は別に無いけれど、やっぱりそうしたバーチャルなコミュニケーションはどこまでも行ってもサブであって、実際の出会いにつなげるためのツールでしか無いと思う。というか思っていたい。

例えば1000人いるfacebook上の友人で、あとこの先60年の人生でまた出会う人は何人いるだろうか。間違いなく全員に会うことは無いだろう。半分?そこまでもいかないかもしれない。
そういう風に考えていると、出会った人とせっせとfacebookのアカウントを交換しつながろうとしている自分は、何をしてるんだろうなあと思う時がある。
例えば自分はドイツがすごく好きで、昔住んでいた時からの友人を尋ね、大学に入ってからは毎年足を運んでいる。社会人になったら時間は減ってしまうだろうけれど、またきっと行くと思う。彼らにも必ずまた会うだろう。そう思ってるから別れの時もあまり寂しさはない。
けれど、とは言っても後100回会うわけではないだろう。2年に1回会うとしても、後60年の人生で30回。1回過ごす時間が、食べて飲んで平均6時間だとすれば30x6=180時間。丸々1週間ある程度。20歳そこらで何を言ってるんだとは思うけれど、でも同じ国の同じ街に住んでる仲の良い友人との時間でさえ、突き詰めて考えれば数値化出来てしまう。別に時間の長さが全てじゃないし、自分だって当然人と会う時にその人との時間、これから過ごしうる時間を計算してるわけじゃない。けど、人生も、人と過ごせる時間も、有限だと言うこと。
そんな当たり前のことに、最近気づいて、なんだか怖くなったりもする。

長さは人によりけりだけど、(少なくとも現時点では)人生の時間は限りがある。
その与えられた時間を自分でどう配分していくかどうか。
そういう意味で、新たな出会いもには常にオープンでいたいけれど、大事にしたい人との時間を大事にしたい、してかなくてはいけないなと思う。それは過ごす時間の長さというよりも、その時々の自分の向きあい方だと思う。10時間一緒に過ごしても、大半をお互いスマホをいじって過ごしていたのでは、そこには何の価値も生まれないだろうし。

出会いがあれば別れもある。
そんな当たり前な、厳しい事実に、時々出会うこと自体が嫌になることもある。
でもそういうことじゃないんだろうな。
あまりセンチになりたくもないのだけど、その度に、一回一回の出会いを大切にし、きちんと別れも告げられる人になりたいなと思う。
さよならをうまく言える人になりたいもんですねぇ。



おーわり
このエントリーをはてなブックマークに追加
18:00 | タワゴト_海外 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

どうして海外就職という選択肢が無いのか。

Do you want to stand out or immerse yourself into another culture?


海外、特にヨーロッパの大学にいて学んでいて、学生と話していると
「卒業後どうするの?」
という話によくなる。

その時に、一般的な日本人学生と大きな違いが2つあるように感じる。

1,マスターは絶対。
就職する場合でもアカデミックな道を行くにしても、学部卒というのでは話にならないらしく、ほとんどの人がマスター(修士)に進む。日本ではむしろ修士まで行くとむしろ就職不利になったりするよ、と言うとびっくり仰天されます。こちらは基本的に学部は3年だし、オーストラリアやイギリスだと1年でマスターとれるとこも多いので修士まで行っても合計4年だったりするというのも大きいのかもしれない。この前学部卒でE&Y(世界四大会計事務所の一つ)でコンサルタントしてる人に会ったけど彼はかなり特殊な例だと思う。

2,卒業後の進路は自国に縛られてない。
ヨーロッパは近いというのは事実。たしかに旅行してても、EU圏内だったらパスポートを確認されることはまず無いし、ヨーロッパで国境を越えるのは日本で言うと県をまたぐ感覚。

それでも。

一部を除き国境を超えれば言語は違うし、文化も国民性も全然違う。
それでも彼らは、特に東欧のまだ発展途上の国の人々は祖国を離れ西欧の国で働こうと思ってると言う学生が沢山いる。近年だと欧州危機の影響でスペイン人も多い。またアメリカやオーストラリアと言った移民が多い国でも、高校・大学からアメリカやオーストラリアに来てそのまま現地で就職しようとするアジア人に沢山見てきた。

日本でも、「海外で働きたい!」と言う人は結構いると思う。
けれどそれは日系企業で働いて海外駐在、というイメージの人が多く、後は外資系企業に入り海外支部にトランスファーしたいという人がほとんどでないかと思う。

初めから日本以外の国のジョブマーケットで戦っていこうと言う人はほとんど聞いたことがない。あっ日本の大学院出てキプロスの金融機関で働くという知り合いが一人。(今大丈夫なのかな..??という疑問はあるけれど..)

かく言う自分も、確かに留学を2度3度経験してきて、旅を通しても様々な国の人と出会い話をしてきたけれど、やはり仕事の初めは日本で、それから海外で働けたらいいなと、現時点では考えてる。

初めから海外のジョブマーケットで勝負してみるというのは、選択肢にも入ってない。いや正確には考えたことはある。
ヨーロッパに来る前、オーストラリアに留学していた時、就活している友人も多かったので果たして自分がここで就活したらどうなるだろうかということを考えてみたことがある。

けれど
1)日本以外の国では基本的に大学での専門や成績が重視される
2)ポテンシャル採用ではなく即戦力になるかで判断される
3)ビザの問題
という大きく3つの要因から難しいなという結論に至った。

1)に関しては、外国(少なくとも米豪そして欧)では日本の様に学部は問いませんということはまず無くて、例えば銀行であれば大学でFinanceやBankingをみっちりやってきたことが最低要件になるし、成績に対する視点も厳しい。GPAという指標が使われることが多いけれど、海外でも大人気なコンサル/投資銀行業界では4あるうちの3.7や3.8(つまりほとんど優ないしA)無いと面接すら受けさせてもらえないということが少なからずある。
自分の様に農学部の学生でもコンサルや銀行の内定もらったよと言うと、「どうなってるんだ日本は」とこれまたびっくり仰天される。

2)に関しては、まぁよく言われることですね。インターンをしていたか等は重視されるし、オーストラリアにいた頃は大学の授業もより就活を見据えた、practicalな内容だなと感じた。
ただこれに関しては”即戦力”とは言えどやはり学生のうちに経験できること/学べることには限界があると思うので、”即戦力”という言葉からイメージされるほど大層なものでもないかなとも思う。(自分自身で経験したことではないのではっきりとは言えないですが) どこの国の企業でもポテンシャルがあるに越したことはないでしょうし。
ただ1)と関連しても、大学で学んだこと、より専門的なことが問われるし、日本でよく言われる様な「コミュ力」で突破できるものではないと思う。

3)に関してはオーストラリアで特に大きい問題なのかもしれません。
元々アジアからの移民を多く受け入れてきたオーストラリアは、近年のアジア人の急増を受けPRといって現地で働く大きな必要要件になるビザの発行を渋るようになりました。ここ数年でも、かなり厳しくなった様です。英語の能力の条件は高いし、ポイント制といって運も多くを占めるギャンブル的な要素もあるみたい。PRをとるには就業経験が無いときついし、就業するためにはPRがないと駄目だし、と堂々めぐりでせっかくバカ高い教育費/生活費用を払ってオーストラリアに来たのに諦めて本国に帰ってしまう学生も増えているのだとか。


と、まぁ上記の様な理由により、同じ多国籍企業に入るのでも、オーストラリアで入るより日本で入る方が圧倒的にラクそうだなと打算的な考えで初めは日本で、という結論に至りました。

いや、いいんですけどね別に。
上記で挙げたような、仕事を求めて他国へ、というのは多くは自国に良い企業が無いからというネガティブな理由も多く、その点(いくら大企業が衰退してきてると言われているとはいえ)まだ多くの大企業・優良企業がある日本は幸せだなと思います。先人の恩恵も大きいのだと思う。
仕事を求めて他国へ行く学生も、自国を愛している人がほとんどだし、自分の国に良い企業・給料や条件の良い仕事があれば他国へ行こうとはしないでしょう。だから(職探しという点で)海外に学生が出て行かない日本はダメだ!という主張にそのまま同調することはしません。


しかしそんな彼らを見てると、素直に逞しいなと思う。
書いたように、彼らは自国を愛してる。むしろ、僕らが日本を愛するより自国を愛しているし恋しがっている。

彼らも他国で仕事を見つけることが大変だということは知っている。
彼らの全てが言語に流暢なわけでないし、そこで苦労することもわかってる。けれど、それでもそういう道を選ぶ学生がいる。

そういう学生と比べた時、自分はこれまで様々海外に行く機会をもらってるのに、上記の様な、ある種甘い考えで初めは日本、と思っている。

別に海外就職が偉いとかってことは全く無いと思うんです。
ただ運良く先人の恩恵を受け、自国で、自国の言語のみでも働くことができる僕らはこれで大丈夫なのかなと漠然と思うことがあります。
世界が急速につながってきて、アジアを初めとした新興国の企業やヒトがもっと日本に入ってきた時、それに対抗できる人的競争力はあるのか。

….
と言ってもじゃあ僕は海外就職します、ということでなく(現時点では)日本でキャリアを始めよう、と思っているわけですが。
けれどヨーロッパにてこちらの9時-17時の毎日、年間5−6週間休暇をとれる生活を聞いてると羨ましくなるし、自分もそこに食い込んでみたいなあ、少なくとも試してみたいなあと思うけれど、でもどうやって始めたらいいかわかんねーようぉーい、とうんうん唸った毎日を送っとります。
誰か教えてください。


つらつらとまとまらない文章になってしまいましたが今日はこの辺で。


おーわり






このエントリーをはてなブックマークに追加
18:14 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Wed.

旅の楽しみ方は変わってゆく。

The World Map of Small Towns



また日が空いてしまった。
何事もこつこつやらんと怠けていきますね人間。反省。

ウィーンに留学に来てから約3週間。
授業は始まったのだけれど、休講だったりまだ始まんなかったりで休みばかりの3週間でした。ってことで旅行ばっかしてました。わほい

先々週はハンガリーからのクロアチア、そして一昨日までアイルランド。
週の半分以上ウィーンにいなかったりすので周りからは「お前本当に学生なの?」とよく言われます。学生なのですはい。別に周りの人と同じくらいの量の授業とってて、1回も授業サボったことないんですけどね。
た ま た ま 授業が火木に固まってて(=金から月までフリー)、そして最近休講が多いのでこんなことに。ヨーロッパはほんとに国境を越えるのが簡単なので例えばウィーンからだと京都から大阪行く感じで
「明日ハンガリー行っちゃう?」
と、ノリ的にも料金的にもいけちゃいます(バスで往復20€しないくらい)。
留学の合間に旅行と言うより、旅行の合間に留学、という感じだなあ..

もっとウィーンにいたいなあ。
と、言いながら学期始まったばっかにも関わらずイースター休暇という名の2週間の休みがあるのでまた行ってきます(おい)。だって休みなんですもの。なんかこっちはよく分からん休日がちょくちょくある様な気がします。休むん好きやなあヨーロッパ人。

今回は東欧をぐるっと周ろうと思ってます。
セルビアからルーマニア、ポーランド、そしてバルト三国(エストニア/ラトビア/リトアニア)を2週間で駆け抜けて来ます。


自分がどうしてこんな旅行に行きたくなるのか正直自分でもよく分かりません。
ただ言えるのは、旅の楽しみ方というのは時を経て変わってきているということ。

2年前友人とヨーロッパを一周していた時は、パリやバルセロナ、ローマと言ったザ・観光地を弾丸で回ってて、「おおー綺麗!やっぱヨーロッパすげえ!」という感動の連続でした。

非常に贅沢とは思うのだけれど、その感動は今はあまり無くなってしまった。
確かに教会とか建物とか綺麗だけれど、正直結構似ている。
ヨーロッパ=綺麗、みたいなイメージが強いけれどどこ行っても道にゴミは落ちてるし、日本ほど道が綺麗な国はほとんど無いと思う。例えばパリでも、綺麗な街とは思うけれど清潔ではないし割と治安も悪い印象。ベルリンの電車よりペルーのバスのがよっぽど綺麗だったなあと思ったりも。

日本に住んでいた時のキラキラしたイメージを持って実際にヨーロッパに住んでみると
失望することは結構多かったりする気がする。基本的に日本で当然と思われてる痒い所に手が届く様なサービスは無いし。

ただ、一旦失望した上で、改めてヨーロッパは面白いなと思うし、更に好きになった。
日本にいた時は「ヨーロッパ」というくくりで色々まとめていたけれど、国が一つ違うと本当に色々違うんなと気づいた。当然言語も違うし、その地に住む人々の性格・雰囲気というのは隣国でも全然違う。また特に自分が抱いていたヨーロッパのイメージは実際にはイコール西欧であって、東欧に関しては何も知らなかったし、さして着目してなかったなと改めて思った。

本やネットで得られる情報で、その国はどういう歴史背景があってどういう特色があるのか。どういう国民性なのか。ということはある程度分かる。
けどやはり、その国のリアルな雰囲気というのは実際に足を運んでみないとわからない。
どういった人種の人が多いのか、道ゆく人々の表情やペース、どんな会社が支店を置いてるのか、お店の応対等々。うまく言葉には出来ないけれど、それ以外にも目の隅に映った情景がくっきりと残ることもある。数日間の滞在でその国の全体像が分かるとは到底思わないけれど、そこで自分の目で見たものは紛れもない事実で、そうしてよりリアルなその国のイメージが作られてゆく。そういった細かいことに、無意識のうちにも目が向くようになってきた気がする。

そしてそういうプロセスを経ると、その国についてもっと知りたいなと思うようになる。
大体惰性で下調べはしてかないのだけど、行った後調べてみたり、本を読んでみたりする。
その国についての情報をニュースで見聞きした時の頭への入り方も違ってくる。
自分が目で見て肌で感じた1次情報と組み合わさって、生々しく自分の中に入ってくる。
そういうことが、素直に面白い。

自分の中では「自分の頭の中の白地図を埋める作業」と思ってたりするんだけれど、存在は知っていた国・人種が自分の頭の中で、色を持って理解されていく感覚がなんかすごく面白い。

また、色々旅をしているとその過程で様々な人に出会う。
日本人もそうだし、外国人もそう。
仕事の合間に旅に出ていたコンサルタント、ピアニスト、元EU職員、家族で世界一周している人々。その時は何も不自然さを感じていなかったけれど、ガラパゴス島(エクアドル)でNASAの研究員と元米国軍人とビールを飲み交わしていたのはなんだかすごかったなと思う。
そうした人達にもう一度会いに行きたい。
実際に話したのは数日、数時間であっても、また会いたいと思える人に沢山出会えた。
今回アイルランドで泊めてもらった友人も、ボリビアで宿が一晩一緒だった人だった。
彼らのホームタウンを訪れ再会するのとても楽しいし、またその地についてより深い話、特にその地/国の良いところだけでなく問題点等も聞ける。それがまた、その国や人への理解につながっていく。


だから何だ、という話なのだけれど
個人的には、国外も見据えて仕事をするのであればまず英語力。そして次に”国際感覚”というのが大切でないかと考えていて、そういったことの積み重ねが”国際感覚”を醸成していく手助けになってくのでないかなと思ってる。

自分が将来何をするのかはわからないけれど、国外も見据えた上で何か日本にプラスになることをしたいなと思ってて、こうしたことに繋がってくと良いな..と密かに思いながら旅行していたり。

ま、そんなもっともらしいこと言ってても旅は娯楽だと思うし本当に好き勝手やらしてもらって恵まれてるなと思う。でもそんなかでも何か学び取って、自分の糧にしてけたら良いなと。


おーわり
このエントリーをはてなブックマークに追加
19:30 | タワゴト_海外 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
ブログパーツ