Thu.

「起業」、大それて考えないこと。-IVSに行ってきた

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秋も終わりかけ..

IVS(Infinity Ventures Summit)という、色々なベンチャー(ITが多かった)起業家の方々が京都に来て講演をしてくれるイベントがあったので行ってきました。ゲストが豪華だった。こんな感じ


別に自分は今すぐ起業しよう!yeahってノリではないけど、
1) こうして事業をしていて、いわゆる「成功してる」と言われている起業家の方々は、どういうプロセスで今取り組んでることをやろうという想いに至ったのか
2) 何が最終目標なのか
の2点が気になってて参加した。

背景としては
将来ぼんやりと、自分で何かしたいなあという想いはあるけれど、具体的に何がしたいとかどういう分野でってのは現時点で特に無い。考えてないわけじゃないんだけれども。20歳そこらなのにわからんやろ!という言い訳をしつつ、でも30歳くらいまでには決めないと使われるだけで終わってしまうなあなんて思ってる今日この頃。そういうわけで1点目。
2点目は、自分はどこへ行きたいんだろう、ということをぼんやりと考えることが多いから。良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入って..。そういう道を歩んだとすると、なんだか上に上に行ってる様な感覚はあるけど、じゃあ自分はどこへ行きたいんだろうと。
目標地点に達すれば更にレベルの高い人がじゃうじゃいて、また別の選択肢も見えてきて、劣等感。そこでもがいて次にいったらその繰り返し。僕が2ヶ月過ごしたブルキナファソ(西アフリカ)の大学生は、テキトーにだらだらして会社入って、そんなに給料はもらえないけどまぁそれなりに結婚して子供生まれて、家庭をつくって。海を越えることなどなくグローバル人材なにそれおいしいのという感じで年をとっていく。彼らはテンプレの様に「僕らの国は貧しい、不幸だ」と繰り返すけれど、それなりに家族と過ごす時間も多くて、そこまでハードには働かずそれなりに好きなこともして。彼らと自分、一体どっちが幸せなんだろ。選択肢を持つことが果たして幸せなのか。とかまぁ言い出したら限りが無いのでこの辺にするとして、まぁ自分はどこへ行きたいのかなぁと言う思いはよく抱いてたのが背景。


さて、長くなったけれど、そういう想いを持ってイベントに参加してみての感想をば。

1) 大それて考えない
なんでその事業をしているのか、ということに関してまず感じたのは、まぁはじめからそんなに大それたことをやろうと意気込まなくていいのかなということ。nanapiのけんすうさんは「何をやるかはどうでも良かった、どうせ基本的に失敗するんだから。それより誰とやるのか、あと失敗しても次回に活かせる様な方法かどうか」と。シリコンバレーで起業した柴田さんは、話を聞いたシリコンバレーの起業家は皆口をそろえて「大それて考えるな。自分の身近で困ってることを自分の技術で解決せよ」と言われたそう。
うーん、なるほど。たしかにfacebookもそう。
ライフネット生命の岩瀬さんは、流れに流されてる感じ、と。元から保険に超熱意があったわけじゃないけど、たまたま聞いたビジネス案が面白くて、これだ!となって今に至るそう。勿論早い段階で「これだ!」と思えるがあったらいいけれど、まぁまずは目の前のこと精一杯やって、これからの流れの中で出会えるもんなのかなと思った。パズドラで有名なガンホーの孫泰蔵さん(ソフバン孫正義さんの弟)いわく、「やりたいことができたら寝る間を惜しんででもやりたくなる」らしい。それを見つけられる様に色々なことに手を出す、また準備を整えとくのは大事、ということでアンテナ張りつつ目の前のことに取り組んでこうと思う。

2) 幸せはやっぱ定義するしか
何が幸せなんだろう。自分はどこへ行きたいんだろう。勿論人によって違う、とは思ってはいたけれどどこかのポイントで「はい!」って答えが降ってくる様な幻想を抱いてた様な気がする。GMO熊谷さんの言うようにやっぱ自分で考えて定義するしかないのかなと。もしかしたらその仮説は違うかもしれないし、そしたらまた修正してくことが必要。でもどっちにしろ、人に決められるものじゃないし自分で決めるもの。自分の場合はなんだろう、と考えてみると「人と違うことがしたい」というのが一番根底にある気がする。


その他に思ったことが3つくらいあった。

1) 良い意味で、「フツー」
起業家、成功したベンチャーの取締役、と言うとオーラバリバリのすごい人、というイメージを持ってたけど良い意味で、結構「フツー」なんだなと思った。勿論すごいんだけれど、何か特殊能力を持ったスーパーマンというわけじゃない。等身大というかなんというか。nanapiのけんすうさんとが特に面白かった。彼は起業してるけれど、「一度きりの人生、安定して暮らしたい!」という思いが根底にあるそう。まずは大企業に入ってみた。以下の写真の理由から、「大企業って、最高だよね!」と思ったし今も思ってるそう。笑 けれど成長感がなくて、変化に適応しないと安定した生活できない→じゃあ起業しようか、と。話してる雰囲気もやわらかな感じだったし、話を聞いてると自分もできそう、、と思えてくる。岩瀬さんもHBS留学時代に楽天三木谷さんに会った時、「天に微笑まれている部分も勿論あるけれど、地道な努力をかなり重ねてらっしゃる」と感じ、改めて尊敬するとともに、自分もできるのでは、と思えたと言っていた。そういう、ある意味ポジティブな勘違いって結構大事なのかも。
photo (1)


2) 一人より二人で
もともと、何かを始めるならまずは自分でやれるところまでやってみて、それから人、と思ってた。けれどシリコンバレーだと、「一人でやるな」と口を酸っぱく言われるらしい。一人の天才にはまず投資をしてくれないそう。やはり事業というのは継続してなんぼだし、一人だとその人が体調崩したり死んだりしたらその時点で終わりだから。あと一人でやるというのは本当に辛くて、一人より二人の方が楽しいでしょ、とも。そのパートナー選びに関しては、まぁうまくやろうと思ったら求める能力に合致する人を探してきてくものなのかと思ってたけど、案外友達と、と言ってる方が多くて驚いた。伊佐山さんいわく「後ろから刺されても、こいつだったら仕方ないかと許せる人」だとか(笑) ただその場合でも、多様性が無くなった時点で組織はダメになるから「同じクラスでこいつとは絶対話さないだろ、みたいな人」(柴田さん)を入れるのも大事らしいけれど。

3) ワークライフ・インテグレーション
ワーク・ライフ・バランスよりも、ワークライフ・インテグレーションを。これは特にDeNAとかGREE等IT系の方々が言っていた。今の時代スマホがあれば寝る直前でも連絡のメールを送れるし、別に子供と遊んでたってビジネスのアイディアを思いつくこともある。そこの垣根を作る必要も無いのでないか。むしろそこを分けようとすることのほうが逆に負担になってるのではないか、と。これに関しては結構自分でも納得する部分があって、また別の機会に書いてみようと思ってる。



とりあえずまぁ、こんな感じでしょうか。
うん、非常に充実した1日だった。
こういうイベントに参加すると、すごい人の話も聞けるし高揚感があって、「充実した1日だった〜」という感想は抱くけれども結局何も変わらない、ということは往々にしてある。イベントの最後に「行動に移してかないと、今日来たのは無意味です」と言われて、ひょえーと思って最低限、大量にとったメモを整理してまとめてみた。けどまだうまく自分の中で消化しきれてなくてモヤモヤしてる感はだいぶ。メモとかも振り返らず「良かった!」と思ってるだけの方がスッキリ感はあるんだろうな。笑 無意味だけど。

トピックもトピックなだけに、来年からベンチャーで働きます!みたいな参加者の方も多く、東京から来てる人なんかもちょいちょいいてびっくり。普段から色々な人と話してるつもりだったけれど、こういう層(ITベンチャー行く人とか)のなんだろう、前のめりの熱意みたいなのがぷんぷんしてて面白かった。知り合いも全然いなかったけど、こうして積極的に違う層に飛び込むのも大事やなとしみじみ。


おーわり


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Mon.

オヤジになりたくない

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秋真っ盛り。南禅寺近く、インクラインにて。


最近は学祭だとか団体の企画だとかが立て続けにあって、やっと一息と言う感じなので最近感じることを2つくらい書いてみます

1, オヤジになりたくない

謙虚な気持ちで学び続けるのって大事ですよね、ってこと。
すごくありきたりだけれど、最近すごく思う。
特に後輩から学ぶ、ということについて。

大げさかもしれないけれど、大学も4年になって1年の時に比べれば色々な経験をしてみると結構保守的、というか後輩の発言に対して無意識のうちのも上から目線になっている自分がいる気がする。後輩の活動を見聞きしている時に、無意識のうちに「それでうまくいくのか。。」という思いを抱いたりすることがある。勿論建設的な批判は良いとして、自分が今までしてきたことを過度に美化して言ってしまっていることもある 。恥ずかしいけれど、自分がしてないことをしている、ということへの悔しさもあるのかもしれない。

思えば、英語で話すと驚くほど年齢を意識しないのに、それが日本語における先輩・後輩になった瞬間に急に年齢への意識が出てきて、相手の立ち位置(年齢やバックグラウンド等)を聞いた上で、その立場にあったトークをしようとしている自分がいる。先輩からは学ぶ・後輩へは伝える、といった風に。
正直そういう構図で話をするのはラク。先輩からは伝えられるもの、自分は受け手と思えば言っている内容を大して吟味せずとも正しいとすれば考えなくていいから。つまり思考停止。年齢が近い人であればそれほど多くないかもしれないけれど、大先輩・例えば講演会の様な場で話を聞くときなんかはよくある。言っていることが全て正しい様に聞こえてしまったりするから。勿論素直に受け止めることは大事だけれど、受け売りになって思考停止になるのには気をつけないといけないなと思う。

逆に後輩と話すときも、斜に構えたり、アドバイスしようと意気込むんでなくてフラットに学ぼうという姿勢を持たないとなと。自分の意見を述べることよりも、人に意見のあら探しをして口出しをすることのほうがよっぽど簡単だから。人の批判をすると自分がその人よりも優秀であるかのような錯覚に陥るけれど、結局その批判は何も生み出していないことも多い。そういう姿勢で学びの対象を狭めてしまうのは非常に勿体無い。それを痛感させてくれたのは2年の時に一緒に活動した後輩。 最近インドの現地企業で2ヶ月法人営業をして帰ってきた後輩も刺激をくれた。まぁ絶賛しすぎるのはそれはそれで思考停止だけど。

オヤジになりたくないな、と思う。
抽象的な言葉だけれど、自分のやってきたことを振り返って語るだけじゃなくて、まだまだ前向いて突っ走って、失敗する人でありたい。先達に比べれば自分なんてまだミジンコ、いやミドリムシみたいなもんなんだから(あぁでも最近のミドリムシはすごい)。最近ホリエモンが出した本にも似たようなことが書いてありました。『ゼロ』、おすすめです。



2, be simple

「明日締め切りのレポートが..」とか「明日やらなきゃいけない作業が..」とか。自分もよく言ってしまうのだけれど、実際やることは具体的に何なのか、蓋をあけてみると、案外大したことなかったりすることって多い。今までの知識を組み合わせて1時間もかからず書けるものだったり、作業と言っても10分15分で終わるものだったり。そうして振り返ってみると「やらなくては..」と気持ちが必要以上にネガティブになってたり生産性が落ちていたりする。実際のコストはそれほど大きくないのに、始める前の、感じる必要の無い精神的コストが生まれてしまっているのはとても勿体無い。
あと最近思うのは、自分が何か責任者的な立場で活動に取り組む際、ムダに何かを背負おうとしないようにしようということ。勿論責任者的な立場になれば仕事は増えるし面倒なことも多い。けれど、案外周りに共有したら手を貸してくれたり、上に書いたように思ったより大したことなかったり。むしろ責任や負担が増えたことに対しグチったり大変大変と言ってる方がストレスがたまる。そんなやらなくていいことも、やることリストに入れて焦りを感じるのも無駄。やらなくてはいけないけれど、それが今ではないものはとりあえず頭の中からアーカイブ。今やるべきことは、やる。やらなくていいことは頭からはずす。そこはある意味機械的にというか、感情をはさまないほうがうまくいくことが多い。代表とか何かの長、ということへの責任感は本当に大切で、往々にして「長だし頑張らないと..」という感情は生まれやすいけれど、そこに負担を感じ過ぎると善意の押し売りになりかねない。そして「私は頑張ってるのになぜみんなやってくれないの..」というひとりよがりに陥る(そういう態度が同情を生むことはあるけれど..)。しかもそういう時に限って、冷静に分析してみるとタスクを処理する以上に愚痴っていたり、何もしていない時間が多かったり。それだったら、具体的にその企画なり活動なりが成功するために必要なことは何かリストアップして、それを粛々と実行してく。 やることは無限にあるように思えても基本的には定量化できるはずだから。そして必要ならピンポイントで周りの人にお願いする。その企画の成功のために必要なことは全てするべきだけれど、別に自分に与えられている全ての時間を余すこと無くそれに費やす必要はないわけで。それは別に手を抜くという意味ではなく、それに費やす単位時間には精神的にも物理的にも全力を注ぐ。でもその企画の活動期間ないし活動期間ないしずっと(1日中なり、1年間なり)時間を使わなければいけないわけではないということ。一つのことを始めると他のことは目に入らなくなる、というのもいいけれど同時期に複数のことに全力を注ぐのも可能だと思うので。勿論、そういう、複数のことに全力を注げるとう前提のもと一つのことに全てを注ぐ、という判断は妥当だと思う。うーん、なんだか分かりにくくなってしまったかも..
まぁbe simple、無駄に感情的になってストレスを感じるのはやめた方がいいのでは、ということ。


おーわり



ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していくゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく
(2013/11/01)
堀江 貴文

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Wed.

近況報告やらなんやら

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最近のベストショット@金閣


京都に戻ってきました。
戻ってきてから3週間ほど。
京都に帰ってきてから色々な人に「え、なんで京都いるんww」みたいなことを言われるので、近況報告を書いてこうかなと。(自己満)

大体3つくらい

1,進路が決まりました。
やっと落ち着きました。来年6月から東京で働きます。
周りの同級生に比べ滑り出しは比較的早かったように思うのですが、留学やら何やらをしていた関係で日本の通常のプロセスに全く乗れず、イレギュラーな就活をしていたことで時期が遅くなりました(それでも海外の人に言うと”卒業前に決まるとかはやっ”と驚かれるけど)。

色々と考えて悩んだけれども、最後の最後で自分らしい選択ができたと思ってます。
俺にはこれしかない!やべえ!とまでは思わなくとも、自分のぼやっ〜〜〜っとした将来像に近づく道は選べたのかなと。
ほぼ初めての国内新卒として、「この人達と働きたい」と思える様な優秀でユニークな人たちに囲まれて仕事ができそうでワクワクしています。

とりあえずさくっとクビにならないようにがんばろうと思います。まぁなっても何とかなるかな

がんばるぞー!!!

2, シェアハウス、始めました。
前からやりたいな〜と思っていたシェアハウス。
ちょうど留学から帰ってきた5人と日本に来ている留学生の6人で下鴨に住み始めました。
3階建て屋上付き、自分の部屋もついて家賃は月2万円。

シェアハウス、いい感じ!
色々シェアできるから安くすむし、ふらーっとリビングに立ち寄ると誰かいて話せたり、みんなで朝食食べたり、友達が友達を連れてきて新しい出会いがあったり。あとは壊滅的に料理の出来ない僕に(主食はすき家)、ご飯をめぐんでくれたり。イイネ!!

様々なバックグラウンドをもった人がふらーっと立ち寄って、面白いつながりが生まれる場になったらいいな、という感じです。

facebookページはこちら。
かどっこはうす(Kadokko house)
場所的にかどっこにあって、角のある(丸くない)人たちが集まってるってことで「かどっこはうす」です。心はまるいよ、ってニュアンスを含めて表記はひらがな。




3, 超学校いってます。
報告と言っていいのかわからないけれど(笑)
超学校いってます。毎日朝から行ってます。 累計1年半日本にいなかったつけがここで。笑
周りの同級生は週2−3コマで、中には全てとり終わって半年のフリーライフを漫喫してる人もいますがわたくし週20コマです。必死です(卒業シタイ!)。
とらなきゃのものも多いのだけれど、趣味でとってる一般教養科目もいくつか。1年の時はあんなにダルいと思ってたパンキョーも、4回生になってみて気軽な気持ちでとると案外新鮮で面白いもんです。例えば政治学の授業を聴講して、国会議員って国会でなくて遊んでても別にいいんだ〜へ〜なんて思いながら楽しんでます。

あと
オーストラリアの大学の様に授業料くっそ高いかつ従量課金制(1科目4000ドル=40万円 / 学期)な場所にいた時に比べると京大は1学期30万円で定額取り放題制だからなんかお得だなぁと思ってとってるのもあります。語学の授業なんか、タダで語学学校行けるようなもんだしお得だなと思う。

ということでめちゃ学校にいるので学校いる方はお昼でも夜でもたべにいきましょう〜



後期に向けて思うこと
まぁとりあえず無事に卒業すること。
とりあえずこれは何がなんでもしないと 笑
卒論も授業も、モレなくきっちりやってこうと思う

あと最近よく思うのは、時間を絞ってくのって大事だなってこと。
最近はPCのカレンダーを使って、何時から何時まで何をしてたのかというのをラフに記録するようにしているのだけれど、そうして見ると案外よくわからんことに使ってる時間って多い。もっと言えば、一定の意義のあるとしても、それって他にその時間を使ってできたことに比べて意義は大きかったのかな?と思うようなことが多い。機会費用を考えるというか。先に書いたようにパンキョーを含めて最初は20コマ以上、ほぼ25コマ履修していた。いくら授業とっても授業料変わらないし、おトクだなと思ってた。けれど、確かにとっといた方がベターだなというものは多いけれど、自分の中では他にもやりたいけどやれてないことが結構あるなって気づいた。blog書くことなんかもそう。自分が将来こうありたいと思う姿をベースにして、そうやって趣味でとってる一般教養の授業で得られるであろうことと自分のしたいことや自分の勉強とを比べてどっちがより近いのか。

(そういう人って結構多いのかなと思うのだけれど)自分は結局何をやっても、良くも悪くも最後には「楽しかった!良かった!」と思えてしまうタイプ。結果というのは変えられないから与えられたものに意味付けをして、最善を尽くすというのは大事なこと。けれど、だから、何をやっても頑張ってしまうからからこそ、何かが流れてきた時に反射的にとるのでなく、自分のありたい姿と照らしあわせながら何に時間を使うかを選ぶ時によく考えなくてはいけないなと思う。(最近読んだこの記事も面白かった)
1回生の時から、何をやっても考え方次第で自分のためにはなると思ってきた。これは今も変わってない。けれどその「ためになる」度っていうのは、完全に定量化はできないけれど選択肢によってかなり違う。特に自分のありたい姿ってのと照らしあわせてみたときにそれは見えてくるのだと思う。学生をやってると時間が無限にある様に感じてしまうけれど、有限の時間をどう配分してくのかってのは考えてかなくてはいけないなと

それは必ずしも予定を詰め込むということでなくて、最近はむしろ予定を絞って自分の時間(振り返ってみたり、本読んだりよか)をとろうとシフトしようとしてます

ま、とは言いつつ遊びたいけども!!アホなことも沢山したい
ってことで遊びとか、生産性で切れない時間(=自分がやりたいと思うこと)に時間を使えるために、生産性で切れる時間はがんがん生産性を追求してきたいなと思います

そういえば最近は少し停滞気味だったlinKもまた再開してこうと思うので、よろしくお願いしまーす


では!
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10:51 | タワゴト | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Mon.

上村直也の履歴書。

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去年の12月頃からはじまった京大わらしべ、という企画があります。
「わらしべ」と書かれたテディベアを回してって、回ってきた人が今自分がしてる活動や頑張ってきたことについて書く。そうしてまた書いた人が「この人は面白い」と思うような人に回してく。前から知っていて、京大の中にもこんなことしてる人がいるのかといつも楽しみに読んでいたのですが、それが最近自分に回ってきました。何を書くか迷ったのですが今までの大学生活をさーっと振り返って書いて寄稿しました。
さーっとは言ったもののいざ書こうとすると色々と溢れてきて、何か昔を振り返って恥ずかしくもなったりしたんですがまぁせっかく書いてみたのでこっちにも転載してみます。以前のブログでの記事と内容がかぶってたりするところもあるんですがそこはまぁご愛嬌で。




わらしべを見てらっしゃる皆様、こんにちは!
29人目、農学部食料・環境経済学科4回の上村直也と言います。

【簡単な自己紹介】
21歳、茨城の片田舎から出て来ました。2年間はAIESECで活動した後、去年の2月から 南米一人旅、西アフリカ/ブルキナファソでのインターン、豪メルボルン大学、独フライブルク留学を経て墺ウィーン大学に留学、2週間ほど前に帰って来ました。1年半ほど日本を離れてはいたのですが4年で卒業・就職する予定です。訪れたのは40カ国あまり。ちなみにお気に入りの国はエストニア、ボスニア、ボリビア、ドイツ。


【何について書くのか】
わらしべの存在は前から知っていて、 様々な分野で頑張ってる人がいて面白いなと毎回楽しみに読ましてもらってました。わらしべ創始者の大河原君がスウェーデンに留学してると聞きつけて、それならとウィーンからストックホルムに飛んだのが先々月くらい。あとわらしべを渡してくれた白土くんとロンドンでらーめんを食べたのも先々月。月日がすぎるのは早いですね。しみじみ。

さて何について書こうかと考えていたのですが、僕は一つのことに集中するのが苦手で、先出の皆さんの様に何かの活動に特化して書くのは出来ないなと思ったのでこれまでの大学生活をざっくり振り返って、思うことを等身大で書いていけたらと思います。↓な感じでいきます。

/留学について
/アフリカでのインターン
/京大生活について
/どうしてそんなに海外に行くのか。
/旅について
/伝えたいこと。
/linK


【留学について】
僕はオーストラリアとオーストリア(紛らわしい)とドイツにそれぞれ留学しています。ドイツは単純に1ヶ月ドイツ語を勉強していた語学留学なのでここではおいといて、ラリアとリアは京大からの交換留学で、計2回行ってます。

・どうして2度行くことになったのか
留学は中学くらいの時からしたいと思っていました。入学当初はアメリカに行きたかったんです。ミーハーだったので、行くなら一番良いとこに行きたい!ということで世界ランクトップ10に入っているUniversity of Pennsylvaniaに行きたいと思っていた。今でこそ京大側も留学を押し出してますから色々なイベントがありますが、その時はあまりなくて、自分で動かないと情報が入ってこない感じだったので留学生課に押しかけて先輩を紹介してもらったりして、とにかく動いて情報を集めていました。ところが第一希望には落ちてしまうんですね。しかも2回(笑) 純ジャパなりに結構勉強はしたのだけれど落ちてしまった。そこで第二希望のオーストラリアに行くことになりました。アメリカの場合は1年行く義務があったけれど、オーストラリアの場合は半年が1年か自分で選べた。そこで、これって半年にしたらワンチャン2回行けるのでは?と思って留学生課に問い合わせたところ「理論上はいけますね」とのこと。なので応募してみた。そしたら通った。2度目はヨーロッパに行きたい!イギリスっしょ!と安直にイギリスを希望するもまた第一希望には落ちてしまう(笑) おそらくラリアに行ったのでお前もう英語圏はいいやろという判断だったのでしょう。結果として第二希望のウィーンへ。ウィーンを選んだのは雰囲気オシャレ〜というこれまたミーハーな理由。ドイツ語勉強したかったというのはありますが。
そんな感じで紆余曲折がありました。いつも第一希望が通ってるわけではないけれど、振り返ってみると本当にこれで良かったと、今は思えてます。結果論ですけどね。結局正解があるわけでなくて、自分で選んだものを正解にしてく姿勢が大事なのだと思います。

・留学を通して学んだこと。
留学を通してやはり一番大きかったのはMinorityになる経験が出来たことでないかなと思っています。それを通して様々なことを学びました。日本にいる時はガイジン、ガイジンなんて言ってたけど今度は自分がその「ガイジン」になるわけですね。 留学ってキラキラしたイメージが強いけれど、当然楽しいことばかりじゃない。 自身の留学生活を振り返ってみると「超楽しかった」と思うしそう答えているけれど、最初の1週間なんかは帰りたいと思う時もあった。 ラリアやリアっていうのはもうインフラが整ってる先進国で、普通に暮らしやすくなってます。けれど、初めの頃なんてのは特に英語もわかなんないし、友達もいないし、その土地についても何もわからない。そんな状態から、半年なり1年なりある程度まとまった期間住む。生活という意味でも授業という意味でも、自分で一からセットアップしていかなくちゃ行けないわけですね。そのプロセスを通して、何度も自分の常識を疑ったり、自国や自分を相対的に眺め振り返る時間があった。日本の良いところも悪いところも見えてきた。日本にいた頃はあまり日本人ぽくないなんて言われたことも多かったんですが、やはり自分は良くも悪くもどうしようもなく日本人だなと思ったり。
また授業でのグループワークや日常で友人を作っていくことを通して、国際感覚と言うのか、そんな大それたものでなくとも対人力の様なものが磨かれた気がします。当然かもしれないけれど、英語がペラペラに話せればきちんと異国の人とコミュニケーション取れるわけじゃないんですね。その論理で行くとアメリカ人みんなコミュ力maxってことになってしまう。欧米人でもコミュ障は沢山いますから。そうじゃなくて、もちろん語学力は大切なんだけれど、先述の対人力も合わさってコミュニケーション能力ということにつながっていく。
アグレッシブな姿勢も身につきました。もちろん個人差はあるけれど、日本人に比べ海外の人は総じてアグレッシブですね。自分の思いと違うことがあれば言ってみよう、交渉しよう、そんな姿勢がある気がします。ちょっと稚拙な例ですが、twitterなんか見てると「ES出し遅れたー\(^o^)/オワタ」みたいなのを見たりします。彼らはそんな生産性の無いことをつぶやく暇があったら会社に電話するなりメールするなりしてネゴる(交渉する)。勿論みんなじゃないですけど。そんな人たちを見ていて、僕もとりあえず言ってみる、ネゴってみるとか、会いたい人がいたら連絡とってみるとか。そういう姿勢がより強くなりました。3学期間日本にいなかったのに (まだだけど) 4年で卒業するのとか、ウィーンにいた頃に国際機関や外務省の方等普段であれば中々会えない人にお会いできたのもそういう姿勢から来ている気がしますね。
あとは語学力。ドイツ語はまだ日常会話の域を出ないですが、英語に関してはかなり自信がつきました。僕は日本生まれ日本育ちの純ジャパですけど、英語が母国語で無い人であればヨーロッパ人でもアジア人でも、基本的に自分の方が話せると思ってます。勿論いつもそういうわけじゃないんですけどね。でもそれでいいんです。そういう過剰な思い込みがついてから、自信を持って自分の言いたいことが言える様になった。個人的には、上で書いた語学力と対人力はある程度相関性があったように思います。

【アフリカでのインターン】
ちょっと留学のことを書きすぎたのでさくっと。
昨年の5−6月にAIESECを利用して西アフリカのブルキナファソという国で大学生に6週間英語を教えていました。
ブルキナファソを選んだ理由は、その時点では国名すら聞いたことも無かったから。
そもそも全然違う環境に飛び込んでみたかったからアフリカに行きたくて、その上でケニアとかトーゴとかカメルーンとかも見てたけど、結構聞いたことあったしもう周りでも行ってる人がちょいちょいいたので全く違うとこに行きたかった。そんなわけでのブルキナでした。
これも中々大変でした。現地のAIESECのメンバーが作ったプロジェクトに参加したんですが、プロジェクトのカウンターパートも大して英語が話せないし、そもそも人は集めているけれどシラバス等もゼロから僕が作る必要があった。まぁそれはいいとしてもっと辛かったんは暇だったこと(笑) 何か当初聞いてたのと違って週に2日しか教える日無いので毎週ゴールデンウィーク。しかも大して観光地があるわけでも無いし、VISAの関係で他国に行く事もできない。周りは「ゆっくりする良い機会なんでないの?」と言うけれど、暇が耐えられない類の人種である僕としては本当に辛かった (笑)。初めは辛かったけど現地の大学を覗いてみたり、JICAにコンタクトをとって青年海外協力隊の方々と仲良くなって現場を見せてもらったり、空港で知り合ったジャーナリストの人と遊んだり。まぁ振り返ってみると楽しかったなと思います。やっぱ自分で足を動かしていくことでしょうね。
6週間現地のブルキナファソ人の家族の家でホームステイして、沢山議論したり喧嘩もして、貴重な経験だったと思います。幸せとは何か?発展とは?そんなことをもやもやと考えさせられました。


【京大生活】
今更という感じですが。1、2回生の時は主にAIESECという学生NPOで活動していました。AIESECってのは海外インターンの運営をしてます。日本の企業に営業に行ったり、イベントを運営したり、インターンに来た外国人とわちゃわちゃしたり。この2年間を通して得た経験は例えば、オーストラリアで実際のNPOを対象にコンサルティングプロジェクトに多国籍チームで取り組んでいる時も非常に役に立ちました。
興味を持つとなんでも手を出してしまうので、 他にもSillyFoxという生協系のサークルもやってたり、他にサークル2つ、バイト3つくらいしてました。

あとどうして3学期をスキップして4年で卒業できるかという話なのですが、これは周りに恵まれたということとが一番、あとはネゴってみるということでしょうか。事前に単位を前もってとっておくのは当たり前として、簡単に自分のしたいことを諦めて交渉してみること。例えば僕の学科では卒業のために必ず必要なゼミの単位があって、一度は留学に2度行くなら留年するしか無いと言われました。けれど考えてみて、自分としては留学をどちらかでも諦めることは嫌だし、留年もしたくなかった。そこで一時帰国してゼミに出席してプレゼンすること、また別途レポートを書くことで代替してもらえないかと打診。そのため「上村について」ということで教授会議が2度開かれたそうですが(笑)、結局はお世話になっている教授方のお陰で何とか4年で卒業出来そうです。2度の留学の単位はおそらく一つも互換出来ないので後期結構ガチで頑張んないとなんですが。

【どうしてそんなに海外に行くのか?】
なんでしょう、行っちゃうんですよね。ディズニーランド行きたい!ってのと同じようなノリかなあ。金額と時間はちょっと違うけど。
でも大きいのは人や景色だと思います。人が多いかな。旅先で出会った人はユニークな人が多くて、例えその時は数時間しか共有していなくても、また会いたいと思う。そんな純粋な思いで飛んじゃうことが多い。また僕は厚かましいのでホステルが一緒で1時間話した、飛行機で隣だった、友達の友達とか、そういうのお構いなしに連絡とってお世話になりまくる。今まで40数カ国行ってきたけれど、現地に何かしらの友人がいて行こうと思った国がほとんどな気がする。実際に訪ねて行くと、本当に皆良くしてくれますし、その友人を質問責めにして、その地のローカルがどういうことを良い/悪いと思っていて問題意識を持っているか等を追おうとすることで、ただの観光に比べてもその地がよりvividに見えてくる。なんだろう、頭の中の白地図を埋めたいっていうぼんやりした想いがあるんです。例えばボリビアという国が存在することは知っているけれど、それを頭で知っていることと、実際に足を運んでリアルを感じることには圧倒的な差がある。 一度訪れることで自分の中に、その国に関してアンテナの様なものが出来る。一度その地を訪れると、何か目のはしで目にしたことが気になって後で調べてみたり、本を読んでみたり、ニュースでその国が出てきたらすっと耳に入ってきたりする。自分の目にしたミクロな知識とマクロな知識が混ざってく感じはやっぱり旅をしてこその感覚だと思います。知ってるからなんだということなのだけど、自分としては頭の中の白地図が埋まってきて世界が繋がっていることを実感し、その地のリアルを感じその白地図に色がついていく感覚が心地良い。


【旅について】
これ書こうと思ったんですが既に超絶長くなってしまったので興味のある方は、前にブログにそういったことを書いたのでこちら見て頂けると幸いです。


【伝えたいこと】
偉そうに言うのは気が引けるし、↑を読んで何か感じることが一つでもあれば嬉しいなと思うのですが、大学生活で様々なことをしてきて思うのは以下の3点です。

とりあえずやってから考える。
→「留学行きたいけどはっきりした目的が無いから迷ってる」ということをしばしば耳にします。僕は、本当にやりたいなら理由は必ずあるのだと思います。それを自分の中からまだ言語化出来ていないだけ。留学やインターンをする時に目標は大事ですよ。そうじゃないとなんとなーく時間が過ぎてしまうから。けれどそれは走りながら考えても良い、とりあえずやってみて、動き出しながら考えても良いんじゃないかと僕は思います。

・ネゴったら何とかなることは案外多い。
→日本人の謙虚な姿勢は良いと思うのだけれど、もっともっと言ってみてもいいと思う。ネゴったら何とかなることは多い。僕は今までの経験を通してそう思います。

・押さえるとこは押さえる。
→ネゴったら何とかなることは多い。それはそう。けれどそれは、ただ自分の主張を押し通すことではありません。何かを実現したいと思う時の、障壁となるものの力学を理解して動くしたたかさのようなものはある程度必要だと思います。また例えば留学行きたいなら単位はとっとくとか、英語のスコアをとるとか、そういうポイントはやはり押さえとく必要があると思います。


【linK】
最後に宣伝も兼ねて。僕は文章を書くのが好きで、1年前南米に飛び立つ前あたりから世界で見聞きしたことをもとに考えたことをブログに書いてます。興味があったらぜひよろしくお願いしますー http://bzbe.blog.fc2.com/

あとその延長で、世界に散らばってる京大生の視点や生き方をつなぐプラットフォームを立ち上げました。linKといいいます。
基本的には海外に出ているor出た、ユニークな視点や生き方を持つ京大生を取材して記事にして公開しています。ただ自分としては単なるインタビューサイトで終わりたく無いと考えています。人が繋がっていく(linkしていく)プラットフォームになれば良いなと。読んですごいな、と終わらないで、本当に興味が出れば会ってみるとか(そのためになるべくコンタクトを載せています)。「日本の大学生は海外に出ない」という様なことが言われたりしていて、それはある程度真実なのかなとは思う。ただ2年半の京大生活で、色々な手段で海外に出てユニークな生き方をしているちょっと (良い意味で) ヘンな京大生を見てきた。学部・年齢に関わらず。例えばベルギーでの交換留学の間に1日で1000人の集客/100万円の利益を上げるイベントを開いた現役学部生(わらしべの次のライター、みっちーです!)や、理学部OBの方で官庁を経て現在国際機関のウィーン本部で働かれている方などなど。そういった方々と話をさせてもらう度に、自分の視点が広がっていくのを感じた。けど案外その生き方は知られてなかったり。僕の友人間のみでもそう感じた。だからそうしたユニークな京大生の生き方・視点をもっとシェアしてくことは価値を生むのでないかと。「そんな選択肢・生き方もあるのか」という新鮮な驚きは、全ての人でないとしても、誰かの新たな行動に結びつくと信じている。どの分野で何をしていくのかというのは人によって違うだろうけど、想いの部分は共有できるものがあるのでないか。実際に活動するフィールド・分野は人それぞれ全然違っても、多くの人が想いを共有して動いていけば、日本は、世界はもう少し良い方向に動いていく、かもねと。人間1人で出来ることは限られてますから。根本にあるのはそんな想いです。わらしべと結構近いですが、アプローチはやや違うと思ってます。
ちなみに京大生にフォーカスしているのはやっぱり自分が京大が大好きだから。アプローチしたいのは京大に限らないんですが。でも大きなことをしたいと思ってもやはりベースは必要だと思うし、まずは足元の京都・京大から始めてみようと。より身近に一歩踏み出していることを知るのは焦り・モチベーションに繋がると思うし。あとやっぱ、読んで終わりでなくて、そこから人が繋がっていったら嬉しいなと。今の時代、SNSをたどれば共通の友人が沢山いたり共通点が色々とあったりするでしょうから。そういう意味でのlinKです。

【最後に】
京大、ということに関して言うと、正直自分自身留学したり、またCambridgeやHarvardといったtop-tireの大学の学生と話す中で、どうして高校から直接海外の大学へ、少なともトライしなかったのかと悔やんだことは数え切れないほどあります。けれど今はやっぱり京大に来てよかった、これで良かったと思っています。問題が無いとは言わない、むしろ沢山あると思いますけども。ただ最近の何が何でも海外の大学が良い、海外大生はすごい、というのは違うと思う。物事には良い面と悪い面がある。当然だけどアホな人はアホだし、先のtop-tireの大学の学生と比較しても自分や京大生が全てにおいて劣ってる、敵わないとは思いませんでした(こいつはヤバ過ぎる、という人はちょくちょくいますが)。先日京大からCambridgeへ行かれた方のお話を伺った時も、Cambridgeの学生は優秀だけれど、京大にいた時とあまり遜色ないと言っていました。

......

やー
短くさくっと書こうと思ったんですけどね!結局長くなってしまいました。
読んでくださった方、ありがとうございます。
後期は京都におりますので、面白いことあったらぜひ声かけてください、ってか面白いことしましょう.

上村 直也
fb: Naoya Uemura
twitter: @708_u
Blog: http://bzbe.blog.fc2.com/
linK: http://linkyoto.wordpress.com/


おわり
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Wed.

適度なナショナリズムをー領土問題を考える。

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先日ロシアに行ってきました。
最近(というか近年?)領土問題がよくニュースに上がるようになりました。
竹島、尖閣諸島。ロシアと日本も北方領土という領土問題を抱えています。

竹島や尖閣諸島、北方領土は日本のものでしょう、と特に疑いもせず自分は思ってきた。
けれど「なぜ?」とか、果たしてそれについてどれだけ知っているのかと言われるとかなり心もとない。日本のものなんだから日本のものだ、という堂々めぐりの考えしか持ってなかった。いやいやそれではあまりにも情けなさすぎるやろということで、せっかくロシアに行くのでちょっと本を読んでみた。1冊読んだだけで語れるわけないのは当然なんだけれど、それでも、1冊読んだだけでも、自分のあまりの無知さに気付かされたので読書メモの様な感じで、考えたことを書いてみる。別に自説を展開したいわけじゃないです。特に領土問題に関しては本当に色々な意見、視点があるだろうし、事実と後いくつかの説の紹介、その上で自分で考えたこと少し。僕もまだまだ勉強中なんですが。こういった問題は難しい、とっつきにくいというイメージが先行しがちだけど一人ひとりが少しでも知ろうとしてくことが大事なんじゃないかと思うので。

前置きが長くなりました。いってみよー!


日本の国境問題 尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)日本の国境問題 尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)
(2011/05/11)
孫崎 享

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元外務省国際情報局局長、孫崎享氏の本。
国がある領土の所有権を主張するということは少なからず何かしらの根拠をともなってるわけで。韓国なら韓国の、中国なら中国の主張がある。それを単純に「日本古来の領土だから」の一点張りで押し通すことは無理がある。小さい子供が「俺の、僕の」と言い合っているのと変わらない。ということで相手国側からの視点、他国での領土問題の発生と経過などが紹介されてます。まぁ詳しい内容は実際に読んでみてねってことなんだけど、何点か自分がびっくりしたことを書いてみます


1, 米国政府は竹島をどう認識しているか
米国には地名委員会(United States Board on Geographic Names, BGN) という、米国全体として世界の地理の命名に責任を持っている機関があります。ここでは世界の係争地がどの国に属するかも扱ってます。時には大統領も関与することもあるレベル。
さて、ここで竹島はどう認識されているか。ここでは竹島は韓国領ということになってます。2008年7月下旬に、先の地名委員会は一度、竹島を「韓国領」から「どの国にも属さない地域」に変更しました。即韓国では大問題になり、ブッシュ大統領の訪韓の際の議題として取り上げなくてはいけない状況に。1週間も経たないうちにライス国務長官も関わり韓国領に戻る。その間日本の官房長官は「アメリカの一機関にいちいち反応する必要は無い」と反応。けれど、大統領も関与しているものを「一機関」と切り捨てることができるのかどうか。また尖閣諸島に関しては地名委員会は日本領でなく中立の立場をとっています。


2, 米軍は尖閣・北方領土・竹島を守ってはくれない?
さて、日米の間にはご存知日米安全保障条約というものがあり、その第5条では「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」との文言があります。
そのため、今は日中・日韓関係が雲行き良く無い感じになってますが、もしもの時はアメリカが守ってくれるやろ、という思いが日本人には何となくあるんでないかと思います。僕もそうでした。有事の時には米軍が動くのだろうと、ぼんやりと考えていた。
ただ、上に書いたように米国地名委員会では竹島は韓国領となっているため、竹島に関し有事の際米軍が日本側につくとは考えられない。
北方領土はどうか。実は第二次大戦で日本が敗戦した後受諾したポツダム宣言にて1945年8月14日、日本は「主権は本州、北海道、九州、四国と連合国側の決定する小島」に合意している。また昭和21年1月の連合国軍最高司令部訓令では日本の範囲に含まれる地域は「竹島、千島列島、歯舞諸島、色丹諸島等を除く」とされてる。また昭和26年8月17日の衆議院総会議で吉田茂総理は「日本の領土は4つの大きな島とこれに付属する小さな島に限られその他は放棄する」と明言。そして現在、北方領土は日本の施政下にはなく、ロシアの施政下になっている。安保条約は「日本の領土」を対象にしているのでなく「日本国の施政の下にある領域」。つまり北方領土に在日米軍は出ない。
最後に尖閣諸島。尖閣諸島は日本の施政下にある。よって安保条約の対象になる。けれどそれが米軍の軍事介入になるかは自明ではない。安保条約では「自国の憲法上の規定及び手続きに従って」と言ってはいるけれど、それは議会に軍事介入の承認を求めるように「努力する」のを約束してるレベルであって、「軍事介入する」という条約上の義務は負っていない。一方、北大西洋条約では同様の箇所が「必要と認める行動(兵力の使用を含む)を直ちにとる」としていて、そこには大きな隔たりがある。
つまり危なくなったらアメリカが助けてくれるだろうって思い込みは勘違いってこと。「尖閣諸島が安保条約の対象であること」と「米軍が尖閣諸島に軍事介入すること」はイコールではないと筆者は言う。
それに、そもそも最近は中国の軍事力が上がってきて、仮に米軍が軍事介入したところでどうなんかって話もある。(参考:中国軍が学習する怖さ 「質も量」整え…軍事的優越消えた自衛隊、米軍 )
まぁこのへんは詳しいわけではないのであまり踏み込まないでおきますが。


3, 領土問題勃発の裏にあるもの
1969年に中ソ国境紛争というものがありました。当時中国とソ連はともに社会主義国だったこともあり、比較的仲が良かった。しかし中ソの国境にあった、珍宝島という小さな島をめぐり中ソは対立する。この島は尖閣諸島等と違い特段資源があったりするわけでもなかった。双方が双方の侵攻を主張し発砲。死者は双方30数人だったそうだけど、数十万の軍隊が臨戦体勢に入り、一時は核戦争の勃発も危惧されていたとか。
どうして資源も無い小さな島をめぐりコストを割いて争ったか。単にその土地が古来から自国のものだから、というpatriotism(愛国心)によるものでなく、筆者によればそれは時の権力闘争と関係している可能性があるとのこと。当時国防部長であった林彪は権力の拡大を狙っており、紛争になれば国は軍部の活動に依存せざるを得ないのでそういう立場の人の権力が強くなる。結果としてこの事件をきっかけに林彪は対立グループを追放し、権力は拡大した。領土問題はナショナリズムを高揚させやすく、しばしば指導者が自国民の人気を得たい時に利用されることもあるという。たしかに内の人気を得るために怒りを外に向けるのは簡単で、かつ一定の効果があるのだろう。奇しくも現在、日中韓のリーダーは皆顔ぶれが新しい。
自分も、こうして領土問題に目を向ける前は、何となくニュースを見聞きして、特に根拠や違う視点も考えず「ここは日本のものだ」とナショナリズムを燃やしていた(別に何もしてないけど)節がある。

----

基本的にpatrioticな人は好き。だって自分の国なんだから。本当に自分の国が好きで、自分の国のことを嬉しそうに話すのは楽しい。 自分も結構「日本なんて..」と思いはずっとあって、海外に色々出てみて改めて自国について考え日本がより好きになったし、誇りも抱くようになった。 国民のナショナリズム、祖国への誇りという要素は国が成長していくにあたって非常に大事だと思う。つい先月亡くなったサッチャーも、首相になった時にイギリス病克服のためまず取り組んだのは、自虐的な内容になっていた教科書を改訂し子供たちに祖国への誇り、ナショナリズムを植え付けることだったとか。

ただ、このナショナリズムを間違って捉えない様に気をつけないと行けないと思う。特に領土問題というのは、先にも書いたように簡単にナショナリズムを高揚させやすい。根拠にもとづいて意見を主張するのは健全なことだけれど、ただニュースや短絡的な話に流されて無駄にアツくなるのが少し違う。そこからは建設的なものは生まれてこない。
例えば北方領土に関して言えば、対日戦への参戦への見返りに北方領土の領有をソ連に約束したヤルタ協定に反し、日ソの接近を恐れた米国が幾度か日本に北方領土の領有を主張するよう誘導し、世論が沸騰したという説もある(孫崎, 2011)。外付けのナショナリズムに振り回されちゃいけないと思う。領土問題は大切なissueであるけれど、国と国の間にある様々なissueの内の一つ。一つの問題で国と国の関係を台無しにすべきでない。

オーストラリアに留学していた時代に、仲の良い韓国人の友達がいた。仲の良い彼らとでさえ、領土問題等のsensitiveな話をすると、やや気まずい雰囲気になった。それは相手にも相手の視点・意見があることを理解せず自分の意見が正しいと疑わず頑として主張していたからだと思う。より広い視野を持って、建設的な議論をしていかなくては。

領土問題は大きな問題だし僕らがアクセスできない情報というのも沢山あるだろうから、全体像を掴むのは本当に難しい。けれど、流れてくるニュースを受け身で受けて思考停止に陥るんじゃなくて、記事を何個か読んでみるとか、本を1冊読んでみるとか。もう少しだけ、能動的に知ろうとしてみる。そうしたことで、きっと視野というのは広くなっていく。そして、そうしたことを一人ひとりがしていくことがすごく大切なのでないだろうか。自省の意味もこめて。



おわり
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Sun.

大学新入生に伝えたい5つのこと

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新入生の皆さん、もうすぐ入学ですね。
これから始まる大学生活にワクワクしている頃でしょうか。
大学生活4年間というのは、長くて短い。色々できることはある。けれど時間が過ぎるのは総じて早い。それが3年間過ごしての実感です。まだ卒業までは1年ありますが、3年間の大学生活を振り返って何か新入生に向け参考になることが書ければと思ってます。

まずは簡単に自己紹介。京大農学部で4月から4年になりますウエムラと申します。茨城県出身で地元の公立中高と進み大学から京都に来ました。幼少期2年間ドイツにいましたが他はずっと日本です。純ジャパです。田舎者です。わーい
大学に入って2年間は主にAIESECという国際学生NPOで海外の学生や企業とわちゃわちゃ絡んでました。3年になってすぐそのAIESECを利用しアフリカのブルキナファソという国で2ヶ月弱インターン。インターンと言っても現地の大学生に無給で英語を教えてたのでボランティアですね。その後すぐオーストラリアのメルボルン大学へ1学期間交換留学、ドイツでの語学留学を経て現在オーストリアのウィーン大学に6月までまた1学期間交換留学に来てます(イマココ)。この記事は旅行中のルーマニアにて書いてます、ちなみにラリアとリアは別に狙ってるわけでもなんでもありません(一応)。合計で1年半くらいは日本にいなかったことになりますが何とか4年で卒業する予定です。

簡単と言いつつ長くなってしまいました。まぁ背景あっての方が話も入ってきやすいかなと思いますので。
伝えたいことは以下の5点です。別にこれが良いとかこれ上手くいくという保証はどこにもございません。ただこれらが3年間での一つの実感です(いや5つか)。

1,やりたいことは全部やる
2,ゴリ押ししたら人生案外融通利くもの
3,本を読もう
4,英語は話せた方が良い
5,外に出よう、旅に出よう、人に会おう


1,やりたいことは全部やる
4年間はあっという間です。自分もまだ終わってないけど。ぽけっとしてたらすぐ就活、そして卒業です。やりたいと思ったことがあったらやりましょう。日本の大学生活というのはそれができる環境です。時間、お金、単位。やりたいことができた時にそれをやらない理由を探すのは簡単です。けれどどんな理由であれ、結果としては「やった」か「やってない」かの2つか残らない。2つの違いは思っているより大きい。でも大丈夫。それをやるための手段は案外シンプルだったりします。留学に行きたいなら応募する。英語力必要なら勉強する。お金が必要なら貯める。何とか調達する。難しくないとは言わない。けれど無理ではない。結局自分次第。言い訳を口にするのは簡単だけれど、その間にも前に進んでいる人がいることは認識しておいた方が良いと思います。
上の自己紹介に書いたように僕は3年間で色々な手段で海外に足を運んできました。別に「グローバル化だから外に出よ!」なんてそれらしい(く聞こえる)ことを言う気はありません。僕の場合はたまたま興味の方向がそちらにあっただけです。自分の好きなこと、夢中になれることをしたら良いと思います。自分の場合は勉強、バイト、サークル、留学、海外インターン、国際会議、一人旅、大陸制覇。全部してみたかった。だから全部やった。2年の時はバイトとサークル4つずつ(計8)掛け持ちしたりもしてました。別に数が多ければエライということは全くありません。色々興味が分散しすぎ色々首突っ込んでいただけです。上述のNPOの活動がメインでしたが。
話が少しそれました。要するに自分が心からやりたいと思い、そしてそれに向けた準備をしていけば必ずできるということ。大学生活というのはそういうとこだと思います。まずはやりたいと願い、そしてそれは出来ると思うこと。そしてそれに向けた準備をする。願ってれば自動的にそれが出来るほど世の中は甘くはありません。でもそれに向けた準備をすればできる。「留学したいなあ」「英語話せる様になりたいなあ」と口にする人は沢山いる。けれど振り返ってみると、口に出したことを実行に移している人というのは案外少ない様に感じます。口に出すならやったらいい。きちんと準備をしたら良い。言ってるだけで言い訳ばかり。いつまでも行動に移さないのってすごくカッコ悪いですよね。そうはなりたくない。なって欲しくない。人の話を聞くのは大切なことです。けれど足を引っ張ろうとする人の話に耳を貸す必要は無い。そんな浪費をしていられるほど大学生活は長くない。自分が本当にしたいことは何なのか。それはきっと、考えるというよりは感じること。僕は直感とかノリとかそういうものは非常に大事だと思ってます。徹底的に考えることも大切なことです。でもある程度考えたら、自分の心に素直に従って目の前のことに全力で取り組みましょう。

2,ゴリ押ししたら人生案外融通利くもの
日本は融通の効かない社会だと言います。けれど本当にそうでしょうか。確かにそういう一面はある。けれどそもそも融通を効かせようという努力をしたのかどうか。例えば僕は合計で1年半くらい日本にいなかったことになるけれど、4年で卒業します。正直京大は単位互換制度があまり整っておらず、1年間留学し、しかもインターン等で+半年不在であれば留年するのが普通。けれど色々あって早く社会に出たいなと思った。足りない単位やゼミがあり交渉したみた。結果、日本にいなくても案外テストや出席をレポートに代替してくれる教授はいた。レポートであれば世界どこにいてもネットさえあれば提出できる。ゼミに関しても、(自分の無茶な申し出が原因でそれに関し2度教授会が開かれたらしいけれど)担当教授の協力もあり何とかなった。自分の場合は教授や教務の方に恵まれたというのが大きく稀有な例ではあると思うけれど、やっぱり言ってみるものだなと思った。就活に関しても、留学に行くと就活が大変、ということはよく耳にするし自分もそう思っていた。けれど蓋を開いてみると案外融通が効くのだなと思った。海外留学している日本人向けの就活フォーラムは数多く開催されていて、留学していて日本に来れない人も面接が受けられ、上手く行けば2-3日で内定がもらえる場がある(一番大きいのはBoston Career Forum.詳しくはこちらをどうぞ)。また企業の面接を受けるにあたって、「その時は日本いないので別のタイミングで面接してください」と申し出て実際の2ヶ月前に面接してもらったこともあります。日本だと就活がかなりシステム化されているので全てにおいて決められたステップがあるように思えてくるけれど、海外では自分で企業に電話なりメールなりして面接を設定してもらう方法が主流だし、あまりそういうのに縛られなくても良いので無いかと思います。日本で面接を受けるにあたって交通費(航空券/新幹線代等)を企業から引き出していたツワモノもいました。
すみません、少し早く、またかなり偏った話になってしまいました。
とにかく何かやりたいことができた時に、障壁があれば、不平不満こぼす前にそれを取り除けるためのキーファクターがどこにあるか見極めること。そしてそこをゴリ押ししてみるべきだと思います。案外何とかなるもんですから。


3,本を読もう
本は良いです。読書というのは非常にコスパが高いと思う。僕の様な普通のいち学生でも、こういった記事を一つ書くのに2−3時間はかかります。本は、自分よりもよっぽどすごい人が(通常は)非常に時間をかけ推敲を重ねたものの結晶。それがたった1000円とか1500円そこらで手に入る。そう考えると安いと思いませんか。何かの分野に興味を持った時、その分野の本を1冊読めば、何も知らなかった時より全体像がよっぽどわかる。そこからまた2冊め、3冊めと読んでいけばある程度の予備知識がつく。「経済とか政治ってよくわからんなー」と言ってる暇があったら1冊読んでみる。そこで自分が無知であることに気づきますから。無知であることとそれに気づくことには大きな違いがあると思います。実際には読めば読むほど自分の無知さに気づき絶望するんですが。けどそれはまた次への好奇心につながるし、そうして自分の「知」というのは蓄積されていく。本当はただ読むだけではなく本で得た知識を自分の中で噛み砕いて知恵に昇華させなくてはいけないんですがそれはまあ読みながら考えたら良いと思います。主観ですが、「こいつ面白いな」と思う人は大抵を本を読んでますね。色々な知識・知恵を持っているから議論していても面白い。僕もまだまだで、週に2冊程度しか読めてないんですが。あと自分の専門と全く違う分野とか読むと面白いと思います。専門は生物学なのにやたらと歴史や文学詳しい人とか、素敵だなあと僕は思います。それから僕は断然借りるより買う派ですね。好き勝手読みたいし色々書き込みたいので。そこは将来への投資だと思って、どんどん買ったらいいと思う。月1万円くらいは許容範囲でしょう。今は電子書籍が発展してきたので世界のどこにいても日本の本をタイムラグ少なく読めますし。自分もiPadに100冊くらい入れて旅の合間とかによく読んでます。



4,英語は話せた方が良い
英語は話せないより話せたほうが良いと思う。役に立つというのもあるけれど、楽しいですから。
僕は純ジャパですが、留学やらを経て英語力にはある程度(というか過剰に)自信がつきました。ヨーロッパの人とでも、英語が母国語でない人と話す時は基本的に自分の方ができるやろって思ってる。実際にはそうでもないんですが。まあそんなことは良いんです。そういう過剰な自信がついてから、何だか圧倒されるばかりだった欧米人との会話や議論でもきちんと自分の意見を言えるようになった。「外国人」というバイアスがあるだけで案外みんな大したこと言ってなかったりしますから。でもやはり日本の人だけで話している時よりも、ものの考え方や人生の捉え方という観点で違うものに触れられる確率は大きい。大きな違い、自分にとって”異”なるものに触れることで、自分の考え方・生き方を改めて見直す機会になりますし、新たな視点を得る機会にもなります。自分の場合、役に立つというより、自分と”異”なる人と話し、そういった機会に出会うのが純粋に楽しくて英語力が伸びてきた感があります。将来的に日本国内だけでなく何かがしたいってことであれば英語力、特に話す能力は必須だと思います。文字通り話になんないというか、話が出来ないですから。以前も書いたのですが、別に英語が出来ることの価値が抜きん出て高いということはなく、英語ができたって話す内容が無かったら全く意味は無いんです。けれどやっぱり完璧な翻訳機がまだ存在しない現在、英語が話せないとスタートラインにも立てないという現状があります。
別にそのために完璧な英語力を持つ必要は無いと思うんです。勿論それは目指したいけどそこまで行かないと自信が持てないのでは時間が掛かり過ぎる。自分なりに勉強を続け、特にどんどん人と話して、悔しさやコンプレックスを感じながらも継続すること。完璧を目指すその過程で、自分が進んできた道に静かな自信を持ってたら良いのでないかと、そう思ってます。(参考:自信過剰って案外大事かも)それから文法重視といった日本の英語教育のせいにするのも違うと思います。文法は大切。それに、問題が無いとは思わないですが、それに文句を言った所で自分の英語力は1ミリも伸びませんから。やはり自分でどれだけやるか。自分も純ジャパだったので色々と苦労はしました。けれど大学入学前に道案内すら満足にできなかった自分に絶望して英語での講義をとったり、留学生と積極的に話す中で、沢山のコンプレックスや悔しさを越えてここまでこれました。と言ってもまだまだなんですが。頑張りましょう。


5,外に出よう、旅に出よう、人に会おう
人の出会いというのは面白いものです。
皆さんであればまずはサークルの新歓イベントががあるでしょう。そういうのはどんどん行ったらいいと思います。大学生活が進むにつれて交友関係はサークルや学部に絞られていくことが多いのですが、新歓というのは他学部、他大の人に出会う良いチャンスです。自分も新歓の時に出会って、サークルも学部も違うけど今も飲みに行く友人が何人もいます。やっぱり一緒のサークルだとか学部の人だけでいると視点が狭まりますから。そういった出会いを大切にしていってほしいと思います。
あとは旅ですね。国内旅行も良いのですが、せっかく比較的長期の時間がとれる学生時代、ぜひまとまった期間(1-2ヶ月)海外に出てみたら良いと思います。隣国中国韓国でさえ、日本との間に大きな違いがあるし、メディアだけで見聞きするものとは違うリアルが、そこにはあります。ぜひ自分の足で世界の街角を歩き、自分の肌で感じてみてください。きっと将来、それが自分の財産になると思います(と、信じてる)。海外に出て改めて自分の無力さに気づくことがあるし、また人と話すことで前述の”異”なるものに出会う機会があります。旅先でで会う人はオープンな人が多く、強烈な人、面白い人が多い。元EU職員、1年以上世界一周中の家族、映画監督、NASAの研究員、元軍人、ピアニストの人等々。そこでつながり、またその人の国を訪れ、再会するのはとても楽しい。今旅行中のルーマニアは、京都で知り合ったルーマニア人の友人に1週間ずっと国中を案内してもらってます。この前訪れたアイルランドでは、昨年ボリビアのホステルで知り合った友人に泊めてもらってました。
考えにふける自分の時間というのも当然大切だと思う。けれど、やっぱり人と話すことで見えてくることは多い。新たな視点が得られることもそうだし、話すことで自分の考えがクリアになることもある。ぜひ積極的に外に出て、人に出会い、話をしてみてください。

.........

ひと味違ったメッセージを送りたいと思ってたのですが、なんか振り返ってみると結局ありきたりな(かもしれない)メッセージになってしまいましたね。まぁ何か一つでも、感じたことがあれば嬉しいです。良かったらシェアしてみてください。


こちらもぜひ、参考にどうぞ。僕自身新入生の時非常に参考にさせてもらいました。

これから大学に入学する新入生のために
高校までとの勉強の違いを認識した上での、勉強する大切さ。非常に示唆に富んだ内容です。

入学して1ヶ月が過ぎた大学新入生に伝えたい心構え。
世界一周パックパッカー太田 英基さんによる文章。響きます。
入学1ヶ月後ということで、ちょっと早いですが読む価値は十二分にあります。
そして1ヶ月後にまた読みなおして見てください。

京大新入生が気づいておくべき8つのこと
「京大新入生」と書いてありますがどの大学新入生誰にでも役立つ内容です。


もし何かありましたら左のフォームからメールでもください。少し遅くなるかもしれませんが、必ず返信します。



おすすめの本

思考の整理学 (ちくま文庫)思考の整理学 (ちくま文庫)
(1986/04/24)
外山 滋比古

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自分にとって書くことの大切さを気づかせてくれた本。
4年前受験期にこの本を読んでから、日記という形で日々考えたことを毎日書いてます。
今はそれがブログと言う形にもなってきましたが、依然として紙に書くことは続けてます。
書くのは良いです。書くことで見えてくることがあります。
考える、という曖昧な行動を具体的な行動に落としこんでくれてる気がする。
すぐ読める本ですので、ぜひ。

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18:26 | タワゴト | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑
Sun.

初心に返る大切さ。

桜 Cherry blossom


この前パソコンのファイルを整理していたら、高校の時に書いた合格体験記が出てきて
その中のあとがきで自分で書いたことを読んでハッとした。

......

これを書いている今、京都大学に入学して3日くらい経ちました。今は時間割作成や新歓コンパ、飲み会に追われる毎日です。新歓コンパに行ってみたり、学校で授業を受けたりして感じることは、京大生とは言え、勉強してない人は全然勉強してないということです。卒業するのにギリギリの単位だけとって、週休5日制、なんて謳歌してる人もいました。でもそれじゃあ必死で勉強して大学行った意味がないですよね。京大に入ったって、4年間大して勉強しなければ、京大に落ちてしまって違う大学に行って悔しくて必死で勉強した人の足元にも及ばなくなると思います。
やっぱり大学に入ってからが勝負だと思います。だから、勉強するために大学へ行くんだ、という視点を忘れないでください。
......


あの頃と今では”勉強”というものの捉え方が少し違ってはきてはいる。
高校の時、勉強と言えば机に向かってするものだった。
大学に入って、学生団体の活動だったりまとまった期間海外に出てみたり、
今まではあまり経験したことのなかったことをしてみて、本当にたくさんのことを学んだ。
究極、捉え方によっては何でも勉強になりうるし、人生何歳になっても勉強だと思う。
大学に入ってしてきたこと、特に自分の足を動かして色々してきたこと。
その様に生きてきたことへの後悔は無いし、これで良かったと、確信の様なものもある。
けれどこの文書を読んだ時、なんだかギクッとした自分がいたのも事実。
「授業なんて..」「理論を学んだって..」と座学を軽視しがちだった自分。
オーストラリアへ交換留学し、4ヶ月という短い期間ではあれど本腰入れて勉強してみて
座学の大切さも少しずつ、分かってきた。(関連記事:やっと座学の必要性が分かってきたわ。)

京大に入るために毎日12時間以上必死で勉強してたあの頃の自分に、恥じない自分になれてるだろうか。
そんな想いを胸に、今年の目標はインプット、インプット、インプットとした。
自分の足を動かす姿勢は失わないで、でも机の上の勉強もしてこうよと自分に言い聞かせて。

受験期は土日年末関係なく毎朝5時半起きを固く守り必死に勉強してた自分。
プロジェクトのメンバーをどうまとめるかで悩み悶々としてた自分。
ブルキナで、泥まみれになりながら裸足でサッカーしてた自分。
留学当初の、不安しか無く帰りたいとさえ思ってた自分。

あの頃から視点は広がったし、考えも深めた。
けれどきっと、あの頃の自分と今の自分は何も変わってない。
芯にあるものはきっと変わってない。

芯にある、初心はいつも忘れずにいたいものですね。



おわり


Today's Book

自分を振り返るという意味でも毎日日記を書いてて
かれこれ4年くらいになるんだけど
その日記を書くきっかけになった本。
当時高3の自分には少し背伸びかな、と思った本だったけれど
非常に読みやすく、書く大切さを学んだ。
軽く読めるので、よかったらぜひ。


思考の整理学 (ちくま文庫)思考の整理学 (ちくま文庫)
(1986/04/24)
外山 滋比古

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Sun.

格差格差と言うけれど。

Unequality


今日はややControversialな話題をば。
アフリカの最貧国の1つ、ブルキナファソでの生活も回送しながら。


格差はあって当然?
ここでは主に日本国内での金銭的な格差ということで話を進めます。

まぁどう格差を定義するかにもよるとは思うんですが
僕はある程度の格差というのは必要だと思ってます。
全員が同じ収入とか同じ豊かさというのは不可能だし
努力を重ねた人ほど、傾向として裕福になりやすいというのは当然じゃないでしょうか。
むしろ頑張ってる人とそうでない人が同じ豊かさになるという共産主義的考え方の方がよっぽど不公平。

「格差」というのはネガティブな言葉で
日本だと政治家や官僚等権力を持っている人や、お金を多く稼いでいる人というのは批判にさらされやすい。(日本に限らないとは思いますが)
例えば政治家が、全く問題無く優れているとは思わない。むしろ問題は山積みだとは思う。
けれど、自分の責任とか義務も全うしてるのか疑問の様な人々が闇雲に政治家、官僚、金持ちを批判しているのを見るとかなり首をかしげたくなる。

「あいつらいい思いしやがって..」
と思っているのかもしれないけれど、大抵そういうエリートっていうのは
若いころからかなりの努力をしてきてるわけで。
普通の人が遊んだりダラダラしていた時期に彼らは血の滲むような努力を重ねてきてた。(少なくともそういう時期が少しはあったはず)
皆がテレビを見てゴロゴロしてる時期に机に向かって唸ってたりしたわけでしょう。
例えば官僚について言えば、僕は公務員試験のこととかあまり分かっていないけれど、
東大のめちゃくちゃ優秀な人とかが勉強して、勉強して、それでも落ちるような世界を
くぐり抜けてきた彼らってのはやはりすごいと思うんです。

批判してるあなたは、彼らが血の滲むような努力をしている時にやはり努力していたのですか、
と問いたくなることもある。
まあ人間てのは結果だけを見てものを言いたくなりますものね。

ただ親のすねかじりながらゲームばかりしてクズの様な生活送ってる様な人が
2ちゃんねる等で大口叩いて批判しているのかと思うと滑稽だなと思う。

だから偉そうにして良い、
というわけじゃないです。
政治家/官僚であればそれだけの努力を重ねてきたんだから、さらに努力を重ねて
与えられた富や権力に甘んじず社会を良い方向に持っていけるようしていって欲しい。
批判があるのは健全。いつの時代も批判はなければいけない。
僕のいたブルキナファソでは独裁政治で、批判てのはあまり表に出てこない社会でしたから。

ただ批判する方も、それぞれの責務というか何というかを全うした上で
建設的な批判をしなくてはいけないですよね。


アフリカ最貧国、ブルキナファソ。
少し話を広げて世界の格差の話に。
今年の5-6月に2ヶ月弱ブルキナファソという西アフリカの国で大学生に英語を教えてました。
明らかに、彼らは僕らより貧しい。
(物理的裕福さが..という話はこちらで)

改めて、自分がいかに恵まれていたのかを思い知らされた。
大学入るのとか、確かに努力は重ねてきたけれど、それも日本という豊かな国
そして恵まれた家庭にいたからこそ、そのベースの上でできたものだったのだなと。

もし自分がブルキナファソに生まれてたら、
って考えたら今の様に世界を回ったり将来ある程度良い会社に入って収入を得て、
ってのは無理だったんじゃないかと思った。
同じ努力を費やしても無理だろうし、そもそも環境的にその努力を費やせるモチベーションが生まれるのか疑問。

でもね。
いくら貧しい貧しいって言っても彼らは日々大して努力をしてるようには見えなかった。
富や権力を手にするのはたしかにきついでしょうよ。大変でしょうよ。
でも客観的に見て、その2ヶ月間だけでも、僕は時間を無駄にしたくないと
本を日本から取り寄せて読んだり、何か学びを得ようとする一方、
彼らの多くは日々ダラダラしてた。
僕は環境的に恵まれていたから、努力をするにあたってその素地があって
だからこそできたというのは分かってます。
(ちなみに僕が接していたのは大学生が多く、大学進学する人が全人口の1/10くらいのあの国で大学生やってたんだから彼らは中上流階級の人間がほとんどだったのでしょうが)
そんな中上流階級の彼らも「日本人はいいよね裕福で」とよく言ってきてた。(参考記事)
でも例えば彼らが僕を羨ましいと思っても、環境を取り替えることはできない。

“Even you envy me, you cannot become me, and I cannot become you. It doesn’t change. If you want to do same thing with me, maybe you have to make more effort than me. It should be really hard. But hard doesn’t mean impossible. It’s maybe hard, but it’s not impossible”

てなことを何度も生徒に語りかけていました。
恵まれた環境にいるものからの上から目線の言葉なのかもしれない。
でも例えばハーバードはシステムとして国籍で入学を差別したりはしないし
機会はあるわけです。めちゃくちゃ大変なのは分かっていますが。


やや話が脱線した感がありますが
とにかく、過度な格差は縮小の方向に進むよう動いていくべきだし
努力しても超えられない格差というのはアンフェアだと思いますが
努力の差が生む格差もあるんでないの、ということ。


ノーブレス・オブリージュ。
自分の責務を棚に上げて、権利だけ主張し批判する人間にはなりたくないですね。


日本のワーキングプアの問題もまだあまり分かってないですし
金銭的にも、周りの人にも恵まれて生きてきたので都合良い意見ではあるのでしょうが。
それでもある一定の心理は含まれてるのでないかなと信じて書いてみました。


おわり

Today’s Book

例えばジンバブエとボツワナって何が違うかわかりますか?
名前を聞いたこともない人もいるかもしれないですが、
隣り合うこの2つの国では、ボツワナでは援助を公共投資等に効率的に回し
1965-2008年の間で所得水準の伸びが驚異の83倍を記録する一方、
ジンバブエは援助に浸り独裁政治が横行し、国の状況は燦々たるもの。
毎年世界銀行やIMFでは莫大なお金が途上国に流れているけれど、
それってどうなの?というアフリカのザンビア出身で
ハーバード、オックスフォード、ゴールドマン・サックスや世界銀行等のキャリアを
歩んできた著者からの、アフリカ人からの新鮮な意見。
金をあげれば良いのでなく国単位での努力が大事、ということ。

途上国の格差に興味ある人はぜひ。


援助じゃアフリカは発展しない援助じゃアフリカは発展しない
(2010/07/30)
ダンビサ・モヨ

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19:10 | タワゴト | comments (3) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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